「吟味されない生は、人間にとって生きるに値しない」は、プラトンの『ソクラテスの弁明』で、裁判にかけられたソクラテスが陪審員に語る言葉です。
ソクラテスは著作を一つも残していないので、その名言は、プラトンやクセノフォンが書き残した作品の中の言葉として読むことになります。
作品名と箇所、誰に向けた言葉かまで押さえると、短い一言の裏にある考え方が正確につかめます。
一方で「悪法もまた法なり」のように、ソクラテスの言葉として広まりながら、プラトンの著作には出てこない言葉もあります。
この記事のポイント
- ソクラテスの言葉はプラトンとクセノフォンの作品に残っている
- 「吟味されない生は生きるに値しない」は『ソクラテスの弁明』38a
- 「生きるために食べる」は後世の伝記に伝わる逸話
- 「悪法もまた法なり」と「汝自身を知れ」は本人の言葉ではない
ソクラテスの名言一覧
この記事で紹介する主な言葉を、書き残した人と作品、場面つきで一覧にします。
表の2列目を見ると、その言葉がどれくらい信頼できる記録に残っているかがわかります。
| 言葉(意味) | 書き残した人・作品と箇所 | 場面 |
|---|---|---|
| 知らないことを、知っているとも思っていない | プラトン『ソクラテスの弁明』21d | 法廷で神託の吟味を語る |
| 哲学をやめはしない | プラトン『ソクラテスの弁明』29d | 法廷で陪審員に |
| 吟味されない生は、人間にとって生きるに値しない | プラトン『ソクラテスの弁明』38a | 有罪が決まったあとの法廷 |
| 私は死ぬために、あなたがたは生きるために | プラトン『ソクラテスの弁明』42a | 死刑判決のあと、弁明の最後 |
| ただ生きることではなく、よく生きること | プラトン『クリトン』48b | 獄中で友人クリトンに |
| 不正に不正で仕返しをしてはならない | プラトン『クリトン』49b | 獄中で友人クリトンに |
| 不正をするより、不正を受けるほうを選ぶ | プラトン『ゴルギアス』469c | ポロスとの対話 |
| アスクレピオスに鶏を一羽借りている | プラトン『パイドン』118a | 毒を飲んだあとの最期 |
| 何も欲しがらないのは神のようである | クセノフォン『ソクラテスの思い出』1.6.10 | ソフィストのアンティポンに |
| 自分は生きるために食べる | ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』2.34 | 後世の伝記に伝わる逸話 |
日本語は、ギリシャ語の原文と英訳をもとにした意味で、訳書によって言い回しは少しずつ違います。
「悪法もまた法なり」と「汝自身を知れ」は、ソクラテス本人の言葉ではないため一覧に入れず、後半で扱います。
ソクラテスとはどんな人か
名言を読む前に、ソクラテスがどんな人で、その言葉がどうやって残ったのかを確かめておきます。
アテナイで問い続けた哲学者
ソクラテスは、紀元前469年ごろから紀元前399年まで生きた、古代ギリシャのアテナイ(アテネ)の哲学者です。
町の人々と対話を重ね、相手が知っているつもりになっていることを問い直していく姿で知られています。
紀元前399年、神々を敬わず若者を堕落させたとして訴えられ、死刑の判決を受けて、毒にんじん(ドクニンジン)の毒を飲んで亡くなりました(出典:スタンフォード哲学百科事典「Socrates」)。
ほかの偉人の言葉もあわせて読みたい方は、偉人の名言を出典・背景つきで集めた記事も参考にしてください。
本人は著作を残していない
ソクラテスは何も書き残さなかった哲学者で、今に伝わる姿は、ほかの人が書いた作品を通したものです。
主な資料は、次の3つです。
- 弟子のプラトンが書いた対話篇
- 同じくソクラテスのもとにいたクセノフォンの回想録など
- 喜劇作家アリストパネスの『雲』
3つの資料に描かれたソクラテスの姿は一致しない部分があり、歴史上のソクラテスがどんな人だったかは「ソクラテス問題」と呼ばれて、今も議論が続いています。
そのため、ソクラテスの名言を引用するときは、「プラトン『ソクラテスの弁明』より」のように、誰がどの作品に書いた言葉かを添えるのが正確です。
名言の場所を示すステファヌス番号
プラトンの言葉には、「38a」のような数字とアルファベットの組み合わせが付いています。
これは1578年にジュネーヴで出版されたプラトン全集のページ番号と、ページの中をaからeに分けた区切りで、ステファヌス番号と呼ばれます。
今の日本語訳の多くも欄外にこの番号を載せているので、どの訳書でも同じ箇所を探せます。
『ソクラテスの弁明』に残る法廷の言葉
プラトンの『ソクラテスの弁明』は、裁判の場でソクラテスが陪審員に向けて語った弁明を描いた作品で、名言の多くがここに集まっています。
「知らないことを、知っているとも思っていない」
友人のカイレポンがデルポイの神託所で「ソクラテスより知恵のある者はいるか」と尋ねたところ、巫女は「いない」と答えました(21a)。
ソクラテスはその意味を確かめようと、知恵があると評判の人物を訪ねて対話し、そのあとで次のように考えたと語ります。
この人も自分も大切なことは何も知らないが、この人は知らないのに知っていると思っており、自分は知らないことを知っているとも思っていない、だからこの小さな点で自分のほうが知恵がある、という内容です(出典:Perseus Digital Library「Plato, Apology 21d」)。
英訳では "what I do not know I do not think I know either" と訳されています。
この箇所は日本で「無知の知」と呼ばれてきましたが、プラトンの本文に「無知の知」という言葉そのものはありません。
名言集でよく見る「私が知っているのは、自分が何も知らないということだけだ」という言い回しも、21dの本文にはこの形では出てきません。
本文では、自分も大切なことは何も知らないと認めたうえで、知らないことを知っていると思い込まない点にだけ違いを見ています。
書かれているのは「知らないことを、知っていると思い込まない」という姿勢で、研究者の納富信留さんも、著書『哲学の誕生』(ちくま学芸文庫)に「「無知の知」を退けて」という章を設けて、この言い方を見直しています。
「哲学をやめはしない」
ソクラテスは法廷で、もし陪審員が「哲学をやめるなら放免する、ただし続けたら死刑だ」と言ったとしたら、という仮定を出します(29c)。
そのうえで、自分は皆さんを大切に思うが、皆さんよりも神に従う、生きていて続けられるかぎり哲学をやめはしない、と答えると語りました(29d)。
続く30aでは、自分は若い人にも年長の人にも、体や財産より先に魂のことを気づかうよう説いて回っているだけだと述べています。
30bには「富から徳が生まれるのではなく、徳から富もほかのよいものも生まれる」という趣旨の言葉もあり、お金や評判より、自分がどんな人間であるかを大切にする考え方が読み取れます。
「吟味されない生は、人間にとって生きるに値しない」
有罪の評決が出たあと、ソクラテスは自分にふさわしい刑を申し出る場面で、毎日徳について語り、自分と他人を吟味することこそ人間にとって最大の善だと述べ、この言葉を続けます(38a)。
ギリシャ語の原文は "ὁ δὲ ἀνεξέταστος βίος οὐ βιωτὸς ἀνθρώπῳ"、英訳は "the unexamined life is not worth living" です(出典:Perseus Digital Library「Plato, Apology 38a」)。
「吟味」は、自分の考えや生き方が本当に正しいかを、問いを重ねて確かめることを指しています。
この言葉は、自分の生き方を立ち止まって問い直すことの大切さを語ったものと受け取れます。
英語で覚えておきたい方は、英語の名言を日本語訳と原文で紹介した記事でも、ほかの偉人の言葉と並べて読めます。
「私は死ぬために、あなたがたは生きるために」
ソクラテス自身の言葉によれば、有罪の評決は、あと30票が逆に入っていれば無罪になるほどの差でした(36a)。
死刑の判決が出たあと、ソクラテスは無罪に投票した人々に向けて、善い人には生きているあいだも死んでからも悪いことは何も起こらない、と語ります(41d)。
弁明の最後は、もう去るときが来た、私は死ぬために、あなたがたは生きるために、という言葉です(42a)。
そして、どちらがよい運命に向かうのかは神のほかに誰も知らない、と結ばれます。
死を前にしても、自分にわからないことを「わかっている」とは言わない姿勢が、21dの言葉と一貫しているように読めます。
獄中の対話『クリトン』の言葉
『クリトン』は、死刑の執行を待つソクラテスのもとに、古くからの友人クリトンが訪ね、逃げてほしいと説得する対話です。
「ただ生きることではなく、よく生きること」
クリトンは、あなたが死ねば二度と得られない友を失うことになる、と言って脱出を勧めます(44b)。
ソクラテスは、二人が前から認めてきた原則がまだ変わらないかを確かめ、大切にすべきなのは、ただ生きることではなく、よく生きることだ、と問いかけます(出典:Perseus Digital Library「Plato, Crito 48b」)。
原文は "οὐ τὸ ζῆν περὶ πλείστου ποιητέον ἀλλὰ τὸ εὖ ζῆν" で、続けて「よく生きる」とは「立派に、正しく生きる」ことと同じだと、クリトンと確認し合います。
長く生きることや助かることより、正しく生きることを基準に選ぶ、という考え方がこの短い言葉にまとまっています。
「不正に不正で仕返しをしてはならない」
49bでソクラテスは、どんな場合でも不正をしてはならないのなら、世の人が考えるように不正をされた仕返しに不正をすることも許されない、と話を進めます。
英訳では "we ought not even to requite wrong with wrong" です。
ソクラテスが脱出を断った理由は、この「不正に不正で報いない」原則と、48bの「よく生きる」原則から説明されています。
「悪い法でも法だから従う」という言い方とは違う理由である点は、後半の「悪法もまた法なり」の節につながります。
『ソクラテスの弁明』と『クリトン』は、岩波文庫の久保勉訳で1冊にまとまっていて、法廷から獄中までの言葉を前後の流れごと読めます。
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『ゴルギアス』と『パイドン』に残る言葉
プラトンのほかの対話篇にも、ソクラテスの考え方がよく表れた言葉があります。
「不正をするより、不正を受けるほうを選ぶ」
弁論術をテーマにした『ゴルギアス』で、対話の相手ポロスは、思いのままに人を死刑にできる者はうらやましいのではないか、とソクラテスに迫ります。
ソクラテスは、不正に人を死刑にする者のほうが、不正に死刑にされる者よりあわれであり、不正をすることこそ最大の悪だと答えます(469b)。
そして、不正をするのも受けるのも望まないが、どちらかしかないなら、不正をするより受けるほうを選ぶ、と言い切ります(469c)。
損をしないことより、自分が悪いことをしないことを重く見る考え方で、『クリトン』の49bとも通じています。
名言集で「何人も本意から悪人たるものなし」として紹介される考え方も、プラトンの対話篇に出てきます。
『プロタゴラス』345eでソクラテスは、知恵のある人たちは、悪いことをする人はみな望まずにそうしているのだとよくわかっている、と語っています(出典:Perseus Digital Library「Plato, Protagoras 345e」)。
進んで不正をする人はいないという見方は、不正をするより受けるほうを選ぶという考え方の土台になっていると受け取れます。
「アスクレピオスに鶏を一羽借りている」
『パイドン』は、ソクラテスが毒を飲んで亡くなる最後の日を、その場にいたパイドンが語る形の作品です。
毒が体に回り始めたあと、ソクラテスは顔の覆いを外して、クリトン、アスクレピオスに鶏を一羽借りている、返しておいてくれ、忘れないように、と言い、これが最後の言葉になりました(118a)。
アスクレピオスは医術の神で、この言葉が何を意味するのかには、さまざまな読み方があります。
なお、同じ作品の59bでは、その日に居合わせた人の名前が挙げられたあと、プラトンは病気だったと思う、と語られています。
作中では、作者のプラトン自身が最期の場面にいなかったことになっている点も、ソクラテスの言葉を読むときに知っておきたい事実です。
クセノフォンが記録した言葉
クセノフォンはソクラテスのもとに出入りしていた人物で、師の言動を『ソクラテスの思い出(メモラビリア)』などに書き残しました。
第1巻6章では、ソフィストのアンティポンが、粗末な食事と服で暮らすソクラテスを不幸だとからかいます。
ソクラテスは、幸福はぜいたくにあると思っているようだが、何も欲しがらないのは神のようであり、できるだけ少なく欲しがるのは神に次ぐことだ、と答えました(出典:Perseus Digital Library「Xenophon, Memorabilia 1.6.10」)。
持ち物を増やすことより、欲しいものを減らすことに幸福を見る考え方と受け取れます。
師の言葉を弟子が書き残したという点では、『論語』で知られる孔子の名言を解説した記事と読み比べてみるのもおすすめです。
後世の伝記に伝わる逸話
ソクラテスの「名言」として広く紹介される言葉には、ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』に出てくるものも多くあります。
ディオゲネス・ラエルティオスは紀元3世紀前半ごろの人とされ、ソクラテスの死から600年ほどあとに、古い言い伝えを集めて哲学者たちの伝記を書きました。
プラトンやクセノフォンの作品より一段信頼度が下がるため、引用するときは「後世の伝記に伝わる言葉」として扱うのが正確です(出典:Perseus Digital Library「Diogenes Laertius, Lives of Eminent Philosophers 2.5」)。
「自分は生きるために食べる」
第2巻34節に、ほかの人は食べるために生きているが、自分は生きるために食べている、とソクラテスがよく言っていた、という逸話があります。
英訳では、the rest of the world "lived to eat, while he himself ate to live" です。
クセノフォンが伝える質素な暮らしぶりとも重なる言葉ですが、出どころは伝記の逸話である点に注意が必要です。
「なくても済むものが、なんと多いことか」
第2巻25節では、市場に並ぶたくさんの品物を見て、ソクラテスが「なくても済むものが、なんと多いことか」とつぶやいていたと伝えられます。
同じ第2巻31節には、善はただ一つ知識であり、悪はただ一つ無知である、富や家柄はそれを持つ人に品位を与えない、という言葉も記されています。
結婚と妻クサンティッペの逸話
第2巻33節では、結婚すべきかどうかを尋ねた人に、どちらを選んでも後悔するだろう、と答えたとされています。
37節には、口やかましい妻クサンティッペとの暮らしについて、馬の乗り手が気性の荒い馬を好むのと同じで、荒馬を乗りこなせればほかの馬は楽に扱える、という趣旨の言葉があります。
どちらもユーモアのある逸話として人気がありますが、プラトンの対話篇の言葉とは別の層の資料であることを覚えておくと、引用の仕方を迷いません。
ソクラテスの言葉ではない定番の名言
ソクラテスの名言として紹介される言葉の中には、本人の言葉ではないものや、古代の出典が確認できないものがあります。
「悪法もまた法なり」
死刑を受け入れたソクラテスが言った言葉として有名ですが、プラトンの著作には出てきません。
ソクラテスの裁判を研究した加来彰俊さんも『ソクラテスはなぜ死んだのか』(岩波書店)で、彼がそう言った証拠はどこにもないとしています(出典:ダイヤモンド・オンライン「古代ギリシャの偉大な哲学者「ソクラテス」が死刑になった残念すぎるワケとは?」)。
同じ記事では、ラテン語の格言 "Dura lex, sed lex"(法は過酷だが、それも法である)の訳が広まった可能性にも触れています。
『クリトン』でソクラテスが脱出を断った理由は、前半で見た「よく生きる」と「不正に不正で報いない」という原則で、悪い法でも従え、という考え方ではありません。
「汝自身を知れ」
「汝自身を知れ」は、デルポイのアポロン神殿に刻まれていた格言で、ソクラテスが作った言葉ではありません。
プラトンの『プロタゴラス』343bでは、古代の七賢人がアポロンの神殿に「汝自身を知れ」と「度を越すな」を刻んで奉納した、と語られています(出典:Perseus Digital Library「Plato, Protagoras 343b」)。
ソクラテスの対話は、自分が何を知っていて何を知らないかを確かめる営みだったので、この格言と結び付けて紹介されることが多くなったと受け取れます。
「悪妻を持てば哲学者になれる」
「結婚したまえ、良い妻を持てば幸せになり、悪い妻を持てば哲学者になれる」という言葉は、ソクラテスの名言として広く紹介されています。
ただし、プラトンやクセノフォンの作品、ディオゲネス・ラエルティオスの伝記で該当する記述は確認できず、古代の出典はわかっていません。
伝記に残る結婚の話は、先に紹介した「どちらを選んでも後悔する」という答えです。
「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」
贈る言葉として紹介されることの多いこの言い回しは、ソクラテス本人の言葉ではありません。
もとになったのは、19世紀イギリスの哲学者J・S・ミルが『功利主義』に書いた、満足した豚より不満足な人間のほうがよく、満足した愚か者より不満足なソクラテスのほうがよい、という一節です(出典:Project Gutenberg「Utilitarianism by John Stuart Mill」)。
ソクラテスは、考え続ける人の象徴として名前を借りられている形です。
贈る言葉としての使われ方は、卒業や退職に贈る言葉を出典つきで紹介した記事で取り上げています。
「良い本を読まない人は、字の読めない人と等しい」
読書をすすめる言葉として、ソクラテスの名言に並べられることがある言葉です。
しかし、プラトンやクセノフォンの作品、ディオゲネス・ラエルティオスの伝記で、該当する記述は確認できません。
名言の出典を調べるQuote Investigatorによると、「良い本を読まない人は、読めない人より有利なところがない」という形の英語の格言は、1914年12月にアメリカのW・A・エバンス博士のコラムで、製鉄会社の標語の1つとして紹介されたものが早い例です(出典:Quote Investigator「The Man Who Does Not Read Has No Advantage Over the Man Who Cannot Read」)。
その後、1945年からはマーク・トウェインの言葉としても広まりましたが、同じ記事はその裏付けも見つからないとしています。
出どころのはっきりしない格言が、有名な人物の名前と結び付いて広まった例の1つです。
ソクラテスの言葉を生き方に生かす読み方
ソクラテスの言葉は短いものが多いので、座右の銘やスピーチに使いやすい一方、前後の流れを外すと意味が変わりやすい面もあります。
自分の言葉として使う前に、次の3点を確かめておくと安心です。
- プラトン・クセノフォン・後世の伝記のどれに残る言葉か
- 法廷・獄中・日常の会話など、どの場面の言葉か
- 誰に向けて、何への答えとして語られたか
たとえば「よく生きる」は、死刑を前にして脱出を断る場面の言葉なので、毎日を充実させようという軽い励ましより、損をしても正しいほうを選ぶという重みを持っています。
「吟味されない生は生きるに値しない」も、他人を批判する言葉ではなく、まず自分の考えを問い直す姿勢として読むと、本来の文脈に近くなります。
答えを言い切るより問いを残す哲学者の言葉として、ニーチェの名言を紹介した記事と読み比べてみるのもおすすめです。
ソクラテスの名言に関するよくある質問
ソクラテスのいちばん有名な名言は?
プラトン『ソクラテスの弁明』38aの「吟味されない生は、人間にとって生きるに値しない」がよく知られています。
ソクラテスはなぜ死刑になったの?
神々を敬わず、若者を堕落させたという罪で訴えられ、紀元前399年の裁判で死刑の判決を受けたためです。
ソクラテスの名言を英語で言うと?
「吟味されない生は生きるに値しない」は、代表的な英訳で "The unexamined life is not worth living." です。
ソクラテスの言葉を日本語で読むなら、どの本がいい?
岩波文庫の『ソクラテスの弁明・クリトン』(久保勉訳)や、光文社古典新訳文庫の『ソクラテスの弁明』(納富信留訳)があります。
「無知の知」はソクラテスの言葉ではないの?
プラトンの本文にある内容は「知らないことを、知っているとも思っていない」で、「無知の知」は日本で広まった呼び方です。
ソクラテスの名言のまとめ
ソクラテスは著作を残していないので、その名言は、プラトンやクセノフォンが書いた作品の中の言葉として、作品名と箇所を添えて読むのが正確です。
ディオゲネス・ラエルティオスの伝記に伝わる言葉は後世の逸話として、「悪法もまた法なり」や「汝自身を知れ」は本人の言葉ではないものとして区別すると、ソクラテスの考え方を取り違えずにすみます。
持ち帰りたい言葉を選ぶなら、『クリトン』の「ただ生きることではなく、よく生きること」です。
迷ったときに、自分の選び方が正しいかを問い直す物差しとして使ってみてください。