パスカルの名言のほとんどは『パンセ』という遺稿集の断章から来ていて、どの版で読むかによって断章の番号と並び順が変わります。
断章番号(ラフュマ版・ブランシュヴィック版)と前後の文脈を確かめると、「考える葦」や「クレオパトラの鼻」が本来何を語った言葉かが正確につかめます。
たとえば「考える葦」は、原文では「人間は一本の葦にすぎない」から始まる一文の後半で、人間の弱さと偉大さを同時に語っています。
一方で、パスカルの名前で広まっていても原文では確認できない言葉や、逆に別人の言葉とされやすいパスカルの言葉もあります。
この記事のポイント
- 「考える葦」は「人間は一本の葦にすぎない」で始まる断章の言葉
- 「クレオパトラの鼻」は恋のむなしさを論じた断章の一文
- 断章番号はラフュマ版とブランシュヴィック版の2つで示す
- 「手紙を短くする時間がなかった」もパスカルの言葉
パスカルの名言一覧
この記事で紹介する言葉を、断章番号と主題つきで一覧にします。
番号のLはラフュマ版、Bはブランシュヴィック版で、言葉は原文の意味を短く示したものです。
| 言葉(原文の意味) | 出典・番号 | 主題 |
|---|---|---|
| 人間は一本の葦にすぎないが、考える葦だ | 『パンセ』L200/B347 | 人間の弱さと偉大さ |
| 私たちの尊厳はすべて考えることにある | 『パンセ』L200/B347 | 考えること |
| この無限の空間の永遠の沈黙が私をおびえさせる | 『パンセ』L201/B206 | 宇宙と人間 |
| 人間は天使でも獣でもない | 『パンセ』L678/B358 | 人間の中間性 |
| 人間とはなんというキマイラか | 『パンセ』L131/B434 | 人間の矛盾 |
| クレオパトラの鼻がもっと短かったら | 『パンセ』L413/B162 | 恋とむなしさ |
| 私たちは決して生きておらず、生きることを望んでいる | 『パンセ』L47/B172 | 時間と幸福 |
| 人間の不幸は、部屋で静かに休んでいられないことから来る | 『パンセ』L136/B139 | 気晴らし |
| すべての人は幸福になることを求めている | 『パンセ』L148/B425 | 幸福 |
| 自我とは何か | 『パンセ』L688/B323 | 自我と愛 |
| 心には、理性の知らない理由がある | 『パンセ』L423/B277 | 心と理性 |
| 力のない正義は無力で、正義のない力は圧制的だ | 『パンセ』L103/B298 | 正義と力 |
| 川ひとつで区切られる、おかしな正義 | 『パンセ』L60/B294 | 正義と慣習 |
| 賭けなければならない、あなたはもう船に乗っている | 『パンセ』L418/B233 | 賭け |
| この手紙が長くなったのは、短くする暇がなかったから | 『プロヴァンシアル』第16の手紙 | 文章 |
日本語の訳書では言い回しが少しずつ違うので、本で探すときは断章番号を手がかりにすると見つけやすくなります。
パスカルとはどんな人物か
パスカルは、数学や物理学で業績を残したあと、宗教と人間についての文章を書いた17世紀フランスの人物です。
ブレーズ・パスカルは、1623年6月19日にフランスのクレルモン(現在のクレルモン=フェラン)で生まれ、1662年8月19日にパリで亡くなった数学者・物理学者・作家です(出典:フランス国立図書館「Pascal, Blaise (1623-1662)」典拠レコード)。
税金の計算をする父を助けるため、1642年から1645年にかけて「パスカリーヌ」と呼ばれる機械式計算機を作りました。
1653年には『流体の平衡論』で、今の「パスカルの原理」につながる圧力の法則を説明し、1654年の夏にはフェルマーとの手紙のやりとりで確率論の基礎を築いています(出典:MacTutor(セント・アンドルーズ大学)「Blaise Pascal」)。
1654年11月23日には宗教的な体験をし、そのあとはジャンセニスムの拠点だったポール・ロワイヤル修道院を訪れるようになりました。
1656年から1657年初めにかけては、友人のアルノーを擁護するため、匿名で18通の手紙『プロヴァンシアル』を発表しています。
『パンセ』は、キリスト教の真理を示す『キリスト教弁証論』のために書きためた覚え書きを、死後の1670年にポール・ロワイヤルの人々がまとめて出版した遺稿集です(出典:コトバンク「パンセ」)。
パスカルは39歳で亡くなったため、この本は未完のまま断片的なノートとして残されました。
歴史上の人物の言葉を広く見比べたい方は、偉人の名言を出典・背景とともにまとめた記事もあわせて読んでみてください。
『パンセ』の断章番号の読み方
パスカルの名言を調べると「L200」「B347」のような番号が出てくるのは、『パンセ』が版ごとに断章の並べ方を変えてきたからです。
パスカルが残したのは並び順の決まっていないノートだったため、編者ごとに配列の違う版が生まれました。
長く最も広く読まれてきたのは1897年のブランシュヴィック版で、番号はBで示されることが多くあります。
現在の研究では、写本を優先した1951年のラフュマ版の系列が標準的な刊本とされていて、番号はLで示されます。
1940年代には、パスカルが著作の計画に沿って断章を分類していたことがわかり、本の構想をある程度たどれるようになりました。
研究用の電子版では、この2つに加えてセリエ版(Sel)など、ほかの版の番号も断章ごとに並べて示しています。
この記事では、「考える葦」を「L200/B347」と書くように、ラフュマ版とブランシュヴィック版の番号を並べています。
日本語訳の『パンセ』も、どの版の順で並べているかは訳書によって違い、岩波文庫の塩川徹也訳は下巻に主要な刊本との対照表を収めています。
人間の弱さと偉大さを語る言葉
『パンセ』でよく引用される言葉の多くは、人間が弱くみじめでありながら偉大でもある、という矛盾を語ったものです。
人間は一本の葦にすぎないが、考える葦だ
« L'homme n'est qu'un roseau, le plus faible de la nature, mais c'est un roseau pensant. »
ラフュマ版の分類で「移行(Transition)」と呼ばれる束に入っている断章で、番号はL200/B347です(出典:Pensées de Pascal「Transition 5」)。
原文の意味は「人間は自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎないが、考える葦だ」で、「人間は考える葦である」という一文そのものは原文にありません。
断章はこのあと、人間を押しつぶすのに宇宙全体が武装する必要はなく、一筋の蒸気や一滴の水で足りる、と続きます。
それでも人間は、自分が死ぬことと、宇宙の力が自分にまさっていることを知っているので、何も知らない宇宙よりも尊い、というのが断章の筋道です。
弱さを認めたうえで、知っていること、考えることに人間の偉大さを置いた言葉と読むことができます。
岩波文庫の塩川徹也訳『パンセ』上巻の紹介文には、「人間は一本の葦にすぎない。自然のうちで最もか弱いもの、しかしそれは考える葦だ」という一節が引かれています。
「考える葦」の前後の断章を日本語で続けて読みたいときは、全3冊のうちこの上巻から手に取るのが入りやすいです。
\ 断章の前後まで日本語で読む /
私たちの尊厳はすべて考えることにある
「考える葦」と同じ断章のまとまり(L200/B347)には、« Toute notre dignité consiste donc en la pensée. » という一文があります。
私たちの尊厳はすべて考えることにある、という意味で、尊厳のよりどころを空間や時間の広さではなく、考えることに求めています。
断章は「だから、よく考えるよう努めよう」と続け、それこそが道徳の原理だと書いています。
別の断章(L113/B348)でも、空間によって宇宙は私を1つの点のように包み込むが、考えることによって私は宇宙を包み込む、と同じ主題が語られています。
「考える葦」は短く覚えやすいため、座右の銘にしたい短い偉人の名言を集めた記事でも取り上げています。
この無限の空間の永遠の沈黙が私をおびえさせる
« Le silence éternel de ces espaces infinis m'effraie. »
「考える葦」と同じ「移行」の束にある断章で、番号はL201/B206です。
この断章は原紙が失われていて、17世紀に作られた写本によって伝わっています。
研究用の電子版の解説では、17世紀の天文学の変化で開けた無限の宇宙を前にした、信仰を持たない人の思いとしてパスカルが書いた言葉だと説明されています(出典:Pensées de Pascal「Transition 7」)。
同じ解説によると、この怖れは束の中で、宇宙のふしぎを前にした感嘆へと変わっていくように組み立てられています。
夜空を見上げて自分の小ささを感じたときの気持ちを、そのまま言葉にしたような一文として受け取れます。
人間は天使でも獣でもない
« L'homme n'est ni ange ni bête, et le malheur veut que qui veut faire l'ange fait la bête. »
番号はL678/B358で、1678年の版で加えられた断章です。
人間は天使でも獣でもなく、困ったことに、天使のようにふるまおうとする者は獣のようになってしまう、という意味です。
研究用の電子版の解説は、道徳的な格言の形をとりながら、神学的な考えに支えられた言葉だと説明しています。
自分を実際より高く見積もると、かえって人間らしさを失ってしまう、という戒めとして読むことができます。
人間とはなんというキマイラか
« Quelle chimère est-ce donc que l'homme »
「矛盾(Contrariétés)」と呼ばれる束にある断章で、番号はL131/B434です。
フランス語のchimèreは、ギリシア神話の怪物キマイラに由来する語です。
パスカルはこのあと、なんという怪物、なんという混沌、なんという矛盾の種か、と言葉を重ね、すべてのものの裁き手でありながら愚かな土の虫でもある、と人間の両面を並べています。
同じ断章には「人間は人間を無限に超えている」という意味の一節もあり、ここから話は宗教の考察へと進んでいきます。
恋とむなしさを語る言葉
パスカルは、人間がささいなことに動かされ、今を生きられないことを「むなしさ(vanité)」という言葉で考えました。
クレオパトラの鼻がもっと短かったら
« Le nez de Cléopâtre s'il eût été plus court toute la face de la terre aurait changé. »
「作業用の束」と呼ばれるまとまりにある断章で、番号はL413/B162です。
日本では「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史も変わっていたであろう」の形で知られ、ささいな物事が大事に影響するたとえとして使われています(出典:コトバンク「クレオパトラの鼻」)。
ただし、原文の語は「短い(court)」で、「地上の様子がすっかり変わっていただろう」という意味です。
断章は、人間のむなしさを十分に知りたい人は、恋の原因と結果を考えればよい、という一文から始まります。
恋の原因は「なんだかわからないもの」なのに、それが王や軍隊や世界全体を動かしてしまう、という流れの最後に置かれたのが鼻の一文です。
研究用の電子版の解説も、取るに足りない原因が国や大陸にまで及ぶ結果を生む、人間の行いのむなしさを語った断章だと説明しています(出典:Pensées de Pascal「Dossier de travail 31」)。
歴史の偶然を論じた言葉というより、恋に動かされる人間のむなしさを語った一文として読むと、断章の流れに合います。
私たちは決して生きておらず、生きることを望んでいる
« Ainsi nous ne vivons jamais, mais nous espérons de vivre »
「むなしさ(Vanité)」の束にある断章で、番号はL47/B172です。
断章は、私たちは決して現在にとどまらず、未来を遅すぎると感じて先取りし、過去を速すぎると感じて呼び戻している、という観察から始まります。
現在は決して目的にならず、過去と現在は手段で、未来だけが目的になっている、と続きます。
そして、私たちは決して生きておらず、生きることを望んでいるだけで、いつも幸福になる準備ばかりしているので幸福になれないのは避けられない、と結ばれます。
先のことばかり考えて落ち着かないときに、今日に目を向け直すきっかけになる言葉として受け取れます。
気晴らしと幸福についての言葉
人がなぜ忙しく動き回るのか、何を求めて生きているのかという問いも、『パンセ』の大きな主題です。
人間の不幸は、部屋で静かに休んでいられないことから来る
« tout le malheur des hommes vient d'une seule chose, qui est de ne savoir pas demeurer en repos dans une chambre »
「気晴らし(Divertissement)」の束にある断章で、番号はL136/B139です(出典:Pensées de Pascal「Divertissement 4」)。
人間の不幸はすべて、部屋の中で静かに休んでいられないという、ただ1つのことから来る、という意味です。
パスカルは、宮廷や戦争で人が危険や苦労に身をさらす理由を考えるうちに、この結論にいたったと書いています。
ただし断章はそこで終わらず、さらに考えると、本当の理由は弱く死すべき私たちの境遇の不幸にある、と続けます。
王でさえ、気晴らしがなく自分のことを考えるままにされれば、反乱や病気や死を思って不幸になる、という例も挙げています。
狩りで追う野うさぎを、差し出されても欲しがらないのは、欲しいのが獲物ではなく、境遇から気をそらしてくれる騒ぎのほうだからだ、という例もこの断章にあります。
何かで気をまぎらしていないと落ち着かないとき、立ち止まって考えるきっかけになる言葉として受け取れます。
すべての人は幸福になることを求めている
« Tous les hommes recherchent d'être heureux. »
「至高の善(Souverain bien)」の束にある断章で、番号はL148/B425です。
断章は、これには例外がなく、戦争に行く人も行かない人も、同じ望みを違う見方で追っているだけだ、と続きます。
同じ断章の後半では、人間の中にある無限の深淵は、無限で変わらないもの、つまり神によってしか満たせない、と書かれています。
『パンセ』が信仰へ導くための本として構想されたことがよく表れた部分で、ここはパスカル自身の宗教的な結論として読むのが正確です。
自我とは何か
« Qu'est-ce que le moi ? »
番号はL688/B323で、「天使でも獣でもない」と同じく1678年の版で加えられた断章です。
窓辺に立って通行人を眺めている人は、私が通ったからといって、私を見るためにそこにいるわけではない、という例から始まります。
次に、美しさを理由に人を愛する人は本当にその人を愛しているのか、と問いかけます。
天然痘がその人を死なせずに美しさだけを奪えば、もう愛さなくなるからだ、とパスカルは答えています。
判断力や記憶力のために愛されても同じで、人は誰も人そのものを愛してはおらず、性質を愛しているだけだ、という結論にいたります。
「自分のどこを好きなのか」と考えたことのある人には、身近に感じられる問いです。
心と理性、正義と力を語る言葉
パスカルは、理性だけでは届かない知り方や、正義が力と結びつく仕組みについても短い言葉を残しています。
心には、理性の知らない理由がある
« Le cœur a ses raisons que la raison ne connaît point »
「論証による証明 I」と呼ばれる束にある断章で、番号はL423/B277です。
フランス語のraison(理由・理性)を2度使った言い方で、原文は「そのことは数多くのことでわかる」と続きます。
恋愛の言葉として引用されることが多いのですが、パスカルの「心(cœur)」は感情だけを指す言葉ではありません。
別の断章(L110/B282)では、空間に3つの次元があることや数が無限であることを感じ取るのは心で、理性はそのあとで証明する、と書かれています。
研究用の電子版の解説も、パスカルは心という語を感情だけでなく、考えることの領域にまで広げて使っていると説明しています(出典:Pensées de Pascal「Le cœur」)。
同じ束のすぐ近くには「神を感じるのは心であって理性ではない」という一文があり、もとは信仰について語る文脈の言葉です。
力のない正義は無力で、正義のない力は圧制的だ
« La justice sans la force est impuissante. La force sans la justice est tyrannique. »
「現象の理由(Raisons des effets)」の束にある断章で、番号はL103/B298です(出典:Pensées de Pascal「Raisons des effets 20」)。
後半を「暴力」とした形で引用されることもありますが、原文の語は「圧制的(tyrannique)」です。
断章は、だから正義と力を一緒にし、正しいものを強くするか、強いものを正しくしなければならない、と続けます。
さらに、正義は議論の的になるが力ははっきり見分けられるので、人は正しいものを強くできず、強いものを正しいとしてきた、と結ばれます。
理想を語るだけの言葉ではなく、世の中で正義がどう決まっていくかを冷静に見た言葉として読むことができます。
川ひとつで区切られる、おかしな正義
« Plaisante justice qu'une rivière borne ! Vérité au-deçà des Pyrénées, erreur au-delà. »
「悲惨(Misère)」の束にある断章で、番号はL60/B294です。
川ひとつで区切られる正義とはおかしなものだ、ピレネー山脈のこちら側では真理でも、向こう側では誤りになる、という意味です。
同じ断章では、緯度が3度違えば法律の判断がすべてひっくり返る、とも書いています。
土地や時代が変われば正しさの基準も変わることを、皮肉をこめて指摘した言葉と受け取れます。
賭けなければならない、あなたはもう船に乗っている
« Oui, mais il faut parier. Cela n'est pas volontaire, vous êtes embarqué. »
「パスカルの賭け」として知られる議論の一節で、番号はL418/B233です。
神がいるかいないかを理性で決められないとしても、どちらかに賭けないわけにはいかない、という議論で、勝てばすべてを得て、負けても何も失わない、と損得を比べてみせます。
研究用の電子版の解説によると、「あなたはもう船に乗っている」という言葉には、18世紀の啓蒙思想家から20世紀の実存主義者まで、多くの思想家が応答してきました(出典:Pensées de Pascal「Preuves par discours I」)。
もとは信仰を持たない読者に向けた弁証の議論ですが、決めないこともまた1つの選択になる、という考え方として受け取ることもできます。
習慣と時間について語る言葉
パスカルは、人の性質や生き方が、生まれつきよりも習慣や時間によって形づくられていくことにも目を向けていました。
習慣は第二の自然で、第一の自然を壊す
« La coutume est une seconde nature, qui détruit la première. »
「矛盾(Contrariétés)」の束にある断章で、番号はL126/B93です(出典:Pensées de Pascal「Contrariétés 9」)。
断章は、親は子どもへの自然な愛が消えてしまうことを恐れる、という一文から始まり、消えてしまうような自然とはいったい何か、と問いかけます。
そして、習慣は第二の自然で第一の自然を壊す、と書いたあと、この自然そのものが最初の習慣にすぎないのではないかと大いに恐れる、と結びます。
日本では「習慣は第二の自然だといわれているが、自然が第一の習慣だということを知らない」という形で紹介されることもありますが、原文は言い切りではなく「恐れる」という言い方です。
「習慣は第二の自然」という言い方そのものはパスカルより前からあり、英訳者の注はモンテーニュの『エセー』第1巻22章を挙げています。
生まれつきだと思っている性格や考え方も、積み重ねた習慣かもしれないと見直すきっかけになる言葉として受け取れます。
人生でいちばん大切な職業の選択は、偶然が決める
« La chose la plus importante à toute la vie est le choix du métier : le hasard en dispose. »
番号はL634/B97で、人生で最も大切なのは職業の選択だが、それを決めるのは偶然だ、という意味です。
断章は、習慣が石工や兵士や屋根職人をつくる、と続きます。
人は子どものころに、ある仕事がほめられ、別の仕事がけなされるのを聞いて、職業を選んでいるというのがパスカルの見方です。
ある地方には石工が多く、別の地方には兵士が多いのは、自然がそれほど一様なはずはないので、習慣がそうさせているのだ、と説明しています。
ただし最後は、ときには自然が勝って、習慣に逆らって人の本能を守ることもある、と結ばれています(出典:Project Gutenberg「Pascal's Pensées」(W・F・トロッター英訳))。
自分で選んだつもりの道も、周りの評価に左右されているのではないか、と考えさせる言葉として読むことができます。
時は悲しみといさかいを癒やす
ブランシュヴィック版で122番の断章で、時が悲しみやいさかいを癒やすのは、私たちが変わって、もう同じ人ではなくなるからだ、という意味です。
断章は、傷つけた人も傷つけられた人も、もう以前の自分ではない、と続けます。
そして、怒らせた国の人々に2世代あとで出会うようなもので、同じフランス人ではあっても同じ人々ではない、とたとえています。
時間がたつと許せるようになる理由を、気持ちが薄れるからではなく、人そのものが変わるからだと説明しているところに、パスカルらしい人間の見方が表れていると受け取れます。
パスカルの名言と間違えやすい言葉
パスカルの言葉には、別人の名前で広まっているものと、パスカルの名前で広まっていても原文では確認できないものがあります。
手紙を短くする時間がなかった
時間がなかったので手紙が長くなってしまった、という趣旨の言葉は、マーク・トウェインなどの名前で紹介されることがありますが、記録をたどれるのはパスカルの『プロヴァンシアル』です。
« Je n'ai fait celle-ci plus longue que parce que je n'ai pas eu le loisir de la faire plus courte. »
第16の手紙の終わり近くにある一文で、この手紙を長くしたのは、短くする暇がなかったからにすぎない、という意味です。
名言の出典を調べるQuote Investigatorは、1657年の手紙集に出てくるこの文を、知られている中で2番目に古い例としています(出典:Quote Investigator「If I Had More Time, I Would Have Written a Shorter Letter」)。
それより古い1652年の例はゲ・ド・バルザックの文章ですが、バルザックはパリの人々の言い回しとして書いているため、最初に言った人はわかっていません。
同じ記事は、トウェインやリンカーン、キケロの言葉とする説には裏付けが見つからないと説明しています。
短く書くほうがかえって手間がかかる、という文章の心得として、今も引用されることの多い言葉です。
原文では確認できない言葉
英語圏では「人の心には神の形をした空洞がある」という言葉がパスカルの名言として広まっていますが、『パンセ』の断章ではこの形の文は確認できません。
近い内容は、先に紹介したL148の、人間の中の無限の深淵は無限で変わらないものでしか満たせない、という一節です。
「優しい言葉はお金がかからないが、多くのことを成し遂げる」という意味の言葉も、パスカルの名前で紹介されることがありますが、パスカルの著作のどこにあるかは確認できません。
哲学者の言葉は短く言い換えた形のほうが広まりやすく、ニーチェの名言を著作から確かめた記事でも、本人の著作にない言葉が広まった例を紹介しています。
パスカルの言葉を引用するときは、『パンセ』の断章番号か『プロヴァンシアル』の手紙の番号まで確かめておくと安心です。
パスカルの名言に関するよくある質問
「人間は考える葦である」は誰の言葉?
17世紀フランスの思想家パスカルの言葉で、出典は死後の1670年に刊行された遺稿集『パンセ』です。
『パンセ』とはどういう意味?
フランス語で「思考」「思想」という意味で、日本では『瞑想録』という訳名で呼ばれたこともあります。
「クレオパトラの鼻」はどういう意味で使う?
ささいな物事が大きな結果を左右するたとえとして使われます。
パスカルの名言を原文で読むには?
ラフュマ版の断章番号がわかれば、フランス語の研究用電子版で断章ごとの原文と各版の番号、解説を読むことができます。
パスカルの名言は宗教の言葉なの?
『パンセ』はキリスト教弁証論の覚え書きなので信仰を背景にした言葉が多いのですが、「考える葦」や「気晴らし」のように人間観察として読まれてきた言葉も多くあります。
パスカルの名言のまとめ
パスカルの名言のほとんどは遺稿集『パンセ』の断章にあり、ラフュマ版とブランシュヴィック版の番号と前後の文脈を確かめると、本来の意味が見えてきます。
「考える葦」は人間の弱さと考える力の偉大さを同時に語る言葉で、「クレオパトラの鼻」は恋に動かされる人間のむなしさを語った一文です。
一方で、原文では確認できない言葉がパスカルの名前で広まる例も、パスカルの言葉が別人の名前で広まる例もあります。
持ち帰りたい一言を選ぶなら、「私たちの尊厳はすべて考えることにある」です。
気になった言葉は、断章番号を手がかりに、訳書で前後の文章ごと読んでみてください。