友達のひと言が気になって眠れない夜や、職場の仲間との距離をどう取ればいいか分からなくなる日があります。
そんなときに支えになる人間関係の名言は、誰の言葉で、どの本のどこに書かれているかまで確かめられるものを選ぶと、安心して自分の言葉にできます。
友情や人付き合いの言葉は、ネットでは発言者が入れ替わって広まっていることが少なくないからです。
名言は相手を変えるための道具ではなく、自分の伝え方や距離の取り方を見直すきっかけとして読むと、毎日の関係に生かしやすくなります。
この記事のポイント
- アリストテレスやキケロは友を人生に欠かせないものとして書いた
- 仲間との距離に迷ったら法句経の「誰と歩くか」の詩句が手がかりになる
- 裏切りや許しには法句経第5偈とラ・ロシュフコーの箴言が響く
- カミュやヘレン・ケラーの名で広まる友情の言葉は出典が確かめられない
人間関係の名言一覧
この記事で紹介する17の言葉を、テーマごとに発言者と出典つきで一覧にします。
| 言葉(要旨) | 発言者 | 出典 |
|---|---|---|
| 友なしに生きることを選ぶ人はいない | アリストテレス | 『ニコマコス倫理学』第8巻第1章 |
| 友とは「もう一人の自分」 | アリストテレス | 『ニコマコス倫理学』第9巻第9章 |
| 何でも話せる相手がいることほど嬉しいことはない | キケロ | 『友情について』第6節 |
| 友情は順境を輝かせ、逆境を分け合って軽くする | キケロ | 『友情について』第6節 |
| 彼だったから、私だったから | モンテーニュ | 『エセー』第1巻「友情について」 |
| 朋有り遠方より来たる、亦楽しからずや | 孔子 | 『論語』学而篇 |
| 真の恋はまれだが、真の友情はもっとまれ | ラ・ロシュフコー | 『箴言集』473 |
| 嫉妬は真の友情によって消える | ラ・ロシュフコー | 『箴言集』376 |
| 愚かな者と連れ立つより、ひとりの旅を続けよ | ブッダ(伝承) | 『法句経』第61偈 |
| 賢い仲間に出会えたら共に歩め | ブッダ(伝承) | 『法句経』第328・329偈 |
| 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない | 夏目漱石 | 『草枕』冒頭 |
| 恨みは恨みによっては止まない | ブッダ(伝承) | 『法句経』第5偈 |
| 友に欺かれるより、友を疑うほうが恥ずかしい | ラ・ロシュフコー | 『箴言集』84 |
| 友の裏切りは嘆くのに、自分で自分を欺くのは平気 | ラ・ロシュフコー | 『箴言集』114 |
| 怒りには愛で打ち勝て | ブッダ(伝承) | 『法句経』第223偈 |
| 東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ | 宮沢賢治 | 「雨ニモマケズ」 |
| Love them anyway. | ケント・M・キース | 「逆説の十カ条」(1968年) |
外国の古典は、英訳の本文をもとに意味を日本語でまとめたもので、日本語の訳書によって言い回しは変わります。
『法句経』(ダンマパダ)の言葉はブッダの教えとして伝わる詩句で、ブッダ本人が書き残したものではないため「伝承」としています。
友達・友情についての名言
友達の大切さを語った言葉は、2000年以上前の哲学者たちの本にすでに書かれています。
東洋でも、『論語』の最初の章に「朋有り遠方より来たる、亦楽しからずや」とあり、学びの言葉と並んで友と会う喜びが語られていて、この章の冒頭の一節は孔子の名言を『論語』の篇ごとに解説した記事で読めます。
「友なしに生きることを選ぶ人はいない」(アリストテレス)
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、『ニコマコス倫理学』の第8巻を友愛についての議論から始めています。
その冒頭で、友は生きるうえで最も必要なもので、「no one would choose to live without friends」、つまりほかの善いものをすべて持っていても、友なしに生きることを選ぶ人はいない、と書いています(出典:Project Gutenberg「The Nicomachean Ethics of Aristotle」)。
続けて、豊かな人や力のある人ほど友を必要とし、親切を向ける相手がいなければ繁栄にも意味がない、という趣旨の文が続きます。
友達は困ったときに助けてもらう相手であると同時に、自分が何かをしてあげられる相手でもある、と受け取れる一節です。
友は「もう一人の自分」(アリストテレス)
同じ『ニコマコス倫理学』の第9巻第9章には、友とは「a second Self」、もう一人の自分の別名だという言葉があります。
アリストテレスは、善い人は自分自身に向き合うように友に向き合うので、自分が生きていることを喜ぶのと同じように友が生きていることを喜べる、と論じています。
そのうえで、友の存在を感じるには、ともに暮らして言葉や考えを分かち合うことが必要だ、と話を進めています。
友達に何かを求めすぎて苦しいときは、相手を自分の延長として扱っていないか、もう一人の自分として大切にできているかを見直すきっかけになります。
喜びは分け合うと輝き、つらさは分け合うと軽くなる(キケロ)
古代ローマの政治家で弁論家のキケロは、『友情について』という対話篇を書いています。
作中では、親友スキピオを亡くしたラエリウスという人物が、若い二人に友情とは何かを語ります。
第6節では、「What can be more delightful than to have some one to whom you can say everything」と、自分自身に対するのと同じ安心感で何でも話せる相手がいることほど嬉しいことはない、と語られます(出典:Project Gutenberg「Treatises on Friendship and Old Age」)。
同じ節の終わりには、真の友情は順境をいっそう輝かせ、逆境はその重さを半分に分け合うことで軽くする、という言葉もあります。
うれしいことを報告したくなる相手、つらいことを話せる相手の顔が浮かぶなら、その関係はキケロの言う友情に近いと読めます。
「彼だったから、私だったから」(モンテーニュ)
16世紀フランスの思想家モンテーニュは、『エセー』第1巻の「友情について」で、亡くなった親友ラ・ボエシとの友情を書いています。
なぜ彼を愛したのかと問われても、「because it was he, because it was I」、彼だったから、私だったから、としか答えられない、という一節です(出典:Project Gutenberg「Essays of Michel de Montaigne」)。
英訳のコットン版ではこの章を第27章としていて、版によって章番号が異なることがあるので、探すときは章の題「友情について」を目印にすると見つけやすくなります。
条件や損得では説明できない友達がいることを、そのまま肯定してくれる言葉として受け取れます。
「真の友情は真の恋よりもまれ」(ラ・ロシュフコー)
17世紀フランスの貴族ラ・ロシュフコーは、人の心の裏側を短い文で突いた『箴言集』で知られています。
箴言473には、真の恋はまれだが、真の友情はそれよりもさらにまれだ、という言葉があります(出典:Project Gutenberg「Reflections; or Sentences and Moral Maxims」)。
箴言376では、嫉妬は真の友情によって消える、とも書いています。
友達の成功を素直に喜べない自分に気づいたときは、その関係がまだ途中にあるだけだと考えると、少し気持ちが楽になります。
仲間との距離感に迷ったときの名言
仲間に合わせ続けて疲れたときは、無理に群れなくてよいと伝える言葉と、ほどよい距離を語った言葉が手がかりになります。
「愚かな者と連れ立つより、ひとりで旅を続けよ」(法句経 第61偈)
『法句経』は、パーリ語でダンマパダと呼ばれる初期の仏教の詩句集で、ブッダの教えとして伝わる短い言葉が並んでいます。
第5章「愚かな人」の第61偈には、自分より優れた人にも同じくらいの人にも出会えないなら、ひとりの旅を固く続けよ、「there is no companionship with a fool」、愚かな者との間に友の交わりはない、とあります(出典:Project Gutenberg「The Dhammapada」(マックス・ミュラー英訳))。
ここで言う「愚か」は頭の良し悪しではなく、ともに正しい道を歩けない相手、という意味で読むと、今の人間関係にも置きかえやすくなります。
夏目漱石も『草枕』の冒頭で、「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない」と書き、人の世を作ったのは向こう三軒両隣にいるただの人だと続けています。
「賢い仲間に出会えたら、共に歩め」(法句経 第328・329偈)
第23章「象」の第328偈には、賢く慎み深く暮らす仲間に出会えたら、喜んで、気を配りながら、その人とともに歩め、とあります。
続く第329偈では、そういう仲間に出会えなければ、森の中の象のようにひとりで歩め、と結ばれます。
ひとりでいることを勧めているだけでなく、良い仲間に出会えたら一緒に歩くことも勧めているところに、この詩句の温かさがあります。
人付き合いのちょうどいい距離については、美輪明宏さんが「腹六分」の人付き合いを語った言葉も、近すぎて疲れたときの参考になります。
裏切られたとき・許せないときの名言
信じていた友達に裏切られたとき、怒りや悔しさをどう扱えばいいかを語った言葉を紹介します。
「恨みは恨みによっては止まない」(法句経 第5偈)
『法句経』の第1章では、第3偈と第4偈で、「あの人は私をののしり、打ち、負かし、奪った」と思い続ける人の恨みは消えず、そう思わない人の恨みは消える、と語られます。
それを受けた第5偈が、恨みは恨みによっては決して止まず、恨みを捨てることで止む、これは昔からの決まりだ、という言葉です。
ミュラーの英訳では「hatred ceases by love」と、愛によって止むと訳されていて、日本語の訳書では「恨みを捨ててこそ」のように訳されることもあります。
相手を許して元の関係に戻ることを求めているのではなく、恨みを抱え続ける自分の苦しさを手放す言葉として読むと、受け止めやすくなります。
「友に欺かれるより、友を疑うほうが恥ずかしい」(ラ・ロシュフコー 箴言84)
ラ・ロシュフコーの箴言84には、「It is more disgraceful to distrust than to be deceived by our friends.」という言葉があります。
友に欺かれることよりも、友を疑うことのほうが恥ずべきことだ、という意味です。
一度裏切られると、ほかの友達まで疑ってしまうことがありますが、疑い続ける生き方のほうが自分を傷つける、と受け取れます。
「友の裏切りは嘆くのに、自分には欺かれても平気」(ラ・ロシュフコー 箴言114)
箴言114では、敵に欺かれ、友に裏切られると私たちはなぐさめようもなく嘆くのに、自分で自分を欺くことにはしばしば満足している、と書かれています。
裏切った相手を責める気持ちは自然なものですが、この箴言は、自分も見たいものだけを見ていなかったかを振り返る視点をくれます。
相手を許すかどうかとは別に、同じことをくり返さないための言葉として持っておくと役立ちます。
優しさについての名言
人に優しくすることの難しさと大切さを、それぞれの立場から語った言葉です。
「怒りには愛で打ち勝て」(法句経 第223偈)
『法句経』第17章「怒り」の第223偈には、「Let a man overcome anger by love」、怒りには愛で、悪には善で打ち勝て、という言葉があります。
同じ偈は、物惜しみには施しで、うそには真実で打ち勝て、と続きます。
きつい言葉を向けられたときに同じ強さで返したくなったら、相手と同じやり方を選ばないという意味で思い出したい言葉です。
「東ニ病気ノコドモアレバ」(宮沢賢治「雨ニモマケズ」)
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、賢治が手帳に書きとめていた詩で、「東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ」と、困っている人のもとへ出かけていく姿が描かれます(出典:青空文庫「〔雨ニモマケズ〕」)。
そのあとには、疲れた母の稲の束を負い、死にそうな人には怖がらなくてもいいと言い、けんかや訴訟があればつまらないからやめろと言う、と東西南北の人への関わり方が続きます。
そして、みんなにデクノボーと呼ばれ、ほめられもせず苦にもされない、そういう者になりたい、と結ばれます。
見返りやほめ言葉を求めない優しさを、身近な人への関わり方として描いた詩と読めます。
「Love them anyway.」(ケント・M・キース)
ケント・M・キースは、1968年に学生リーダー向けの冊子として「逆説の十カ条(The Paradoxical Commandments)」を書きました(出典:Kent M. Keith「The Paradoxical Commandments」公式サイト)。
最初の一条は、人は理屈に合わず、わからず屋で、自分のことばかり考える、それでも愛しなさい、という内容で、その結びが「Love them anyway.」です。
公式サイトによると、マザー・テレサはこの十カ条をカルカッタの子どもの家の壁に掲げていて、それが本人の言葉と誤解されるきっかけになりました。
「愛の反対は憎しみではなく無関心」も、マザー・テレサの言葉として広まっていますが、本人の言葉とは確かめられていない言葉のひとつです。
この言葉の出どころと、マザー・テレサ本人が語った愛と奉仕の言葉は、マザー・テレサの名言を出典つきで解説した記事で読めます。
人間関係の名言で出典に注意したい言葉
友情や人付き合いの言葉には、本人の著作で確かめられないまま、有名人の名前で広まっているものがあります。
「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」
この言葉は、岸見一郎さんと古賀史健さんの『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社、2013年)の中で、哲人が青年に語る言葉です。
作中では、アドラー心理学の根底に流れる概念として紹介されています(出典:ダイヤモンド・オンライン「『すべての悩みは対人関係の悩みである』とアドラーは言った」)。
ただし、アドラー本人の著作でこれと同じ一文は確認できないため、引用するときは「アドラー心理学の考え方」として『嫌われる勇気』を出典に添えると正確です。
『嫌われる勇気』では、この言葉に反発する青年に哲人が答える形で、対人関係の悩みの考え方を前後の議論ごと読めます。
\ 対話の流れで考え方をたどる /
「前を歩かないで、隣を歩いて」(カミュとされる言葉)
「僕の前を歩かないで、僕の後ろを歩かないで、ただ隣を歩いて友達でいて」という言葉は、フランスの作家カミュの名言として広く紹介されています。
名言の出所を調べているQuote Investigatorによると、カミュの著作の中にこの言葉は見つかっていません(出典:Quote Investigator「Just Walk Beside Me and Be My Friend」)。
同じ記事では、1971年12月にアメリカ・マサチューセッツ州の新聞に作者名なしで載ったのが早い例で、それから1週間たたないうちにニュージャージー州の新聞がカミュの言葉として紹介したとしています。
使うときは、カミュの名前を添えず、作者不詳の言葉として紹介するのが確かです。
「闇の中を友と歩く」(ヘレン・ケラーとされる言葉)
「光の中をひとりで歩くより、闇の中を友と歩くほうがいい」という言葉は、ヘレン・ケラーの名言として紹介されることがあります。
しかし、ヘレン・ケラーの著作や手紙の中で、この言葉を確かめることはできません。
手紙や著書で出典をたどれる言葉は、ヘレン・ケラーの名言を紹介した記事にまとめています。
「人間の最大の罪は不機嫌である」(ゲーテとされる言葉)
「人間の最大の罪は不機嫌である」は、ゲーテの言葉として人間関係の名言によく挙げられています。
近い内容は、ゲーテの小説『若きウェルテルの悩み』第1部の、7月1日付の手紙に出てきます。
主人公のウェルテルが、牧師の家に集まった人たちの前で、不機嫌は自分にも周りの人にも害になるのだから罪と呼んでよい、と語る場面です(出典:Project Gutenberg「The Sorrows of Young Werther」)。
英訳では、ウェルテルは不機嫌を戒める説教を聞いたことがないと言い、不機嫌を「a crime」と呼んでいます。
ただし、この場面に「最大の」という言い方はなく、語っているのもゲーテ本人ではなく小説の登場人物です。
引用するときは、『若きウェルテルの悩み』の主人公の言葉として、元の場面を添えると正確です。
ゲーテの作品や対話に残る言葉は、ゲーテの名言を『ファウスト』や『ゲーテとの対話』の出典つきで解説した記事で読めます。
自分に合う人間関係の名言の選び方
同じ人間関係の名言でも、今どんな場面で悩んでいるかによって、響く言葉は変わります。
次の表は、悩みの場面ごとに、この記事で紹介した言葉の中から手がかりになるものを並べたものです。
| 今の悩み | 手がかりになる言葉 | 受け取り方 |
|---|---|---|
| 友達がいる意味が分からない | アリストテレス「友なしに生きることを選ぶ人はいない」 | 助ける相手がいることも友の価値 |
| 本音を話せる人がいない | キケロ「何でも話せる相手」 | 一人でも話せる相手がいれば十分 |
| 仲間に合わせるのに疲れた | 法句経 第61偈・第328偈 | 誰と歩くかは自分で選んでよい |
| 裏切った相手が許せない | 法句経 第5偈 | 許すより先に、恨みを手放す |
| 一度の裏切りで人を信じられない | ラ・ロシュフコー 箴言84 | 疑い続けるほうが自分を傷つける |
| きつい言葉に言い返したくなる | 法句経 第223偈 | 相手と同じやり方を選ばない |
似た意味の言葉でも、法句経の第61偈は「ひとりでもよい」、第328偈は「良い仲間とは共に歩め」と、向いている方向が少し違います。
選ぶときは、次の3つを目安にすると、自分の状況に合う1つが見つかりやすくなります。
- 相手を責める材料ではなく、自分の行動を決める言葉になっているか
- 今の自分の気持ちを否定せずに読めるか
- 誰がどの本で語った言葉か、出典を言えるか
人に伝えるときは、言葉だけを切り取らず、誰の言葉かと出典を添えると、受け取る側も安心して読めます。
人間関係の名言に関するよくある質問
外国の名言は、訳によって言い回しが変わるのですか?
訳者ごとに言葉の選び方が違うため、同じ一節でも本によって表現が変わります。
引用するときは、どの訳書から引いたかを添えると、読む人が元の文章をたどれます。
名言を寄せ書きやスピーチで使うときは、何を添えればいいですか?
発言者の名前と、書名や作品名を添えるのがおすすめです。
出典が分からない言葉は、作者名を付けずに紹介すると誤った引用を広めずに済みます。
裏切った相手を、無理に許さないといけないのですか?
無理に許す必要はなく、恨みを抱え続ける苦しさから自分を解放することと、相手との関係を元に戻すことは別のことです。
SNSで見かける出典のない友情の名言は使ってもいいですか?
言葉として心に響くなら使ってもかまいませんが、有名人の名前を付けるのは本人の言葉だと確かめられたときだけにしてください。
『嫌われる勇気』はアドラー本人が書いた本ですか?
アドラー本人の著作ではなく、岸見一郎さんと古賀史健さんがアドラー心理学の考え方を哲人と青年の対話の形で書いた本です。
人間関係の名言のまとめ
人間関係の名言は、誰がどの本で語った言葉かを確かめると、場面に合った意味で受け取れます。
友達の大切さ、仲間との距離、裏切りと許し、優しさのどれも、古典の中で長く読み継がれてきた言葉があります。
一方で、カミュやヘレン・ケラーの名前で広まっている友情の言葉のように、本人の言葉と確かめられないものもあります。
持ち帰りたい言葉を選ぶなら、法句経の「恨みは恨みによっては止まない」と、キケロの「何でも話せる相手がいることほど嬉しいことはない」です。
相手を変えようとする前に、自分の伝え方と距離の取り方を見直すきっかけとして、気になった言葉を手元に置いてみてください。