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野口英世の名言|床柱の決意と母シカの手紙を出典から解説

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朝もやの湖と雪をかぶった山の写真に、野口英世の名言と題した文字を重ねたバナー

野口英世の名言として紹介される言葉には、本人が書き残したことを確かめられるものと、出典が見つからないまま広まったものが混ざっています。

なかには、別の人物の言葉や外国のことわざが、野口英世の言葉として紹介されているものもあります。

「忍耐は苦い、しかしその実は甘い」も本人の創作ではなく、野口英世が好んで書いた格言とみられます。

この記事では、生家の床柱に刻んだ決意の言葉や母シカの手紙など出典を確かめられる言葉と、出典の分からないまま広まっている言葉を分けて紹介します。

この記事のポイント

  • 「志を得ざれば再び此地を踏まず」は19歳で上京するとき生家の床柱に刻んだ言葉
  • 母シカの「はやくきてくたされ」の手紙は野口英世記念館に残る
  • 「忍耐は苦い、しかしその実は甘い」は本人の創作ではなく、好んで書いた格言とみられる
  • 「変えられるものが二つある」など、出典の見つからない言葉も多い

野口英世の名言一覧

この記事で紹介する言葉を、出典と確認の状況つきで一覧にします。

「確認の状況」の列を見ると、本人の言葉と確かめられるのか、出典が分からないのかが分かります。

言葉出典確認の状況
志を得ざれば再び此地を踏まず1896年、上京の際に生家の床柱に刻む確認できる
忍耐1915年の帰国時に母校へ贈った文字確認できる
私にはわからない…1928年、最期に残したと伝わる言葉記念館の学芸員の解説で紹介
はやくきてくたされ母シカが英世に宛てた手紙確認できる(母の言葉)
忍耐は苦い、しかしその実は甘い本人の創作ではなく格言とみられる出典を確かめたい言葉
人は四十になるまでに土台を作らねばならぬ1933年の伝記に記されているとされる出典を確かめたい言葉
変えられるものが二つある。それは自分と未来だ不明出典不明
誰よりも三倍、四倍、五倍勉強する者、それが天才だ不明出典不明

このほかにも、野口英世の名言として紹介されながら出典の見つからない言葉があるため、後半でまとめて紹介します。

野口英世はどんな人か

言葉の背景を知るために、まず野口英世の生涯を短く押さえておきます。

野口英世(幼名は清作)は、1876年(明治9年)11月9日、現在の福島県猪苗代町に生まれました。

1歳半のときに囲炉裏に落ちて左手に大やけどを負いましたが、恩師の小林栄や友人たちの援助で手術を受け、医学のすばらしさに感動して医師を目指します。

1896年に上京すると、ふつうは数年かかる医術開業試験を1年で突破し、20歳で医師の資格を得ました。

1900年に渡米し、ロックフェラー医学研究所では「ノグチはいつ眠るのか?」といわれるほど研究に打ち込み、梅毒スピロヘータの研究でノーベル賞の有力候補にも選ばれています。

その後、黄熱病の研究に取り組みましたが、1928年5月21日、研究先のアフリカ・アクラで自身も黄熱病に感染し、51歳で亡くなりました(出典:内閣府「野口英世の生涯」)。

2004年からは、科学者として初めて日本の紙幣の肖像となり、千円札の顔として親しまれました。

英世の言葉や人柄をもっと知りたい方は、伝記で生涯を通して読むのがいちばん確実です。

英世と親交のあった人が編んだ伝記のほか、作家の渡辺淳一さんが史料をもとに英世の生涯を描いた『遠き落日』などがあります。

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ほかの偉人の言葉とも見比べたい方は、偉人の名言を出典と背景つきでまとめた記事も参考にしてください。

出典を確かめられる野口英世の言葉

野口英世本人の言葉として出典を確かめられるものは、実はそれほど多くありません。

ここでは、記念館の資料などで確かめられる言葉を紹介します。

同じく医療の分野で生きた人物の言葉では、ナイチンゲールの『看護覚え書』の言葉と看護観を出典つきで解説した記事もあります。

志を得ざれば再び此地を踏まず

1896年(明治29年)、19歳の清作は、医術開業試験を受けるために上京する際、生家の床柱にこの言葉を刻みました(出典:野口英世記念館「生家エリア」)。

「志を果たせなければ、二度とこの地を踏まない」という意味で、医者になれなければ故郷には帰らないという強い決意が込められています。

床柱に刻まれた文字は、猪苗代町の野口英世記念館に保存されている生家で、今も当時のまま見ることができます。

実際に清作は、上京したその年に前期試験、翌年に後期試験に合格し、決意どおり医師の資格を手にしました。

忍耐

1915年(大正4年)、15年ぶりに帰国した英世は、母校の翁島小学校に「忍耐」の文字を贈りました。

英世が亡くなった翌年、この文字を刻んだ碑が生家の庭に建てられ、今も記念館で見ることができます。

左手の障害や貧しさを抱えながら学び続け、海外で昼夜を問わず研究を重ねた英世が、故郷の子どもたちに残した言葉です。

短い二文字ですが、英世の生き方をもっともよく表す言葉と受け取れます。

私にはわからない…

英世は、黄熱病の研究のために渡ったアフリカで自身も感染し、1928年5月21日にアクラで亡くなりました。

記念館の学芸員が執筆した内閣府の解説では、英世は「私にはわからない…」との言葉を残して生涯を閉じたと紹介されています。

病原体の解明を目指してきた研究者が、最後に残したとされる言葉です。

黄熱病の病原体は、のちに細菌ではなくウイルスであることが明らかになっています。

母シカの手紙「はやくきてくたされ」

野口英世の名言を調べると、母シカが英世に宛てた手紙の言葉がよく一緒に紹介されています。

英世本人の言葉ではありませんが、英世の生涯を語るうえで欠かせない手紙です。

手紙に書かれた言葉

母シカは幼いころに文字を覚えたものの、その後ほとんど文字を書く機会がなく、英世は後に「母が字を書けるとは知らなかった」と語っています。

そのシカが、研究に忙しく何年も帰国できない英世に宛てて、慣れない文字で書いたのがこの手紙です。

「はやくきてくたされ はやくきてくたされ いしよのたのみてありまする」

「早く帰って来てください、一生のお願いです」という意味で、一目会いたいという母の気持ちが繰り返し綴られています(出典:野口英世記念館「母シカの手紙」)。

現存する唯一の母の手紙として、野口英世記念館に展示されています。

手紙を受け取った英世

手紙を受け取った英世は、1915年(大正4年)に15年ぶりに帰国し、母との再会を果たしました。

約2か月の滞在中は各地で講演会や歓迎会が開かれる忙しい日々でしたが、英世は母や恩師の小林栄夫妻と一緒に関西へ旅行するなど、親孝行にも努めています。

シカは英世と過ごす時間を「まるでおとぎの国にいるようだ」と語りました。

同じ年の11月4日、英世は横浜からニューヨークへ戻り、その後二度と日本の地を踏むことはありませんでした。

野口英世の言葉として広まっている格言

野口英世の名言として紹介される言葉の中には、もともと別の人物の言葉や、外国のことわざだったとみられるものがあります。

ここでは、英世と関わりはあるものの、英世が作った言葉ではないとみられるものを紹介します。

「忍耐は苦い、しかしその実は甘い」

野口英世の名言として最もよく紹介される言葉のひとつです。

野口英世記念館によると、英世は1915年の帰国時、母校に「忍耐」の文字を贈っただけでなく、当時の猪苗代町長に英語とフランス語の文字も贈っており、その文字も生家の庭の碑に刻まれています。

このフランス語が「忍耐は苦いが、その実は甘い」という意味の一文だと紹介されることがありますが、記念館のサイトでは碑の文言までは確かめられませんでした。

この一文は、フランスの思想家ルソーの言葉として知られる格言でもあり、英世が作った言葉というより、英世が好んで書いた言葉と受け取るのが自然です。

「正直は最良の策」

「正直であることが最高の手段だ」も、野口英世の名言として紹介されることがあります。

これは英語の古いことわざ「Honesty is the best policy」と同じ意味の言葉です。

英世が町長に贈った英語の文字がこのことわざだと紹介されることもありますが、英世自身が作った言葉ではありません。

「人は四十になるまでに土台を作らねばならぬ」

この言葉は、英世と親交のあった医学者の奥村鶴吉が編んだ伝記『野口英世』(1933年)に記されているとされます。

ただし、この記事では伝記の該当ページを直接確かめることはできませんでした。

伝記に残る言葉であれば、本人が書いた文章ではなく、周囲の人が伝えた言葉として読むのが正確です。

出典の見つからない野口英世の名言

ネットでは、野口英世の名言として紹介されながら、本人の書簡や記念館の資料では出典を確かめられない言葉も広まっています。

使う前に知っておきたい代表的な言葉を紹介します。

「変えられるものが二つある。それは自分と未来だ」

学校のたよりや名言サイトなどで、野口英世の言葉としてよく紹介されている言葉です。

しかし、本人の書簡や伝記でこの言葉を確かめることはできませんでした。

カナダ出身の精神科医エリック・バーンの言葉として知られる「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」とよく似ており、別の言葉が野口英世の名前と結びついた可能性があります。

「誰よりも三倍、四倍、五倍勉強する者、それが天才だ」

努力の大切さを語る言葉として、勉強の名言集などでよく引用されています。

「ノグチはいつ眠るのか?」といわれるほど研究に打ち込んだ英世の姿とよく合う言葉ですが、本人がいつどこで語ったのかは確かめられませんでした。

「二倍、三倍」「三倍、四倍、五倍」など、紹介する人によって数字が違うことも、出典がはっきりしないことを示しています。

努力と結果について考えたい方は、「努力は必ず報われる」という言葉の意味を解説した記事も読んでみてください。

そのほかの出典が見つからない言葉

次の言葉も、野口英世の名言としてよく紹介されますが、本人の言葉として出典を確かめることができませんでした。

  • 「一番肝心なのは諦めないということだ。どん底だからこそ這い上がるんだ」
  • 「絶望のどん底にいると想像し、泣き言をいって絶望しているのは、自分の成功を妨げ、そのうえ、心の平安を乱すばかりだ」
  • 「家が貧しくても、体が不自由でも、決して失望してはいけない」
  • 「自分の目から見たら、お母さんはこの世にまたとない貴い神様のような人ですから」

励まされる言葉であっても、野口英世の言葉として人に伝えるときは、出典が示されているかを確かめてから使ってください。

野口英世の名言に関するよくある質問

野口英世の一番有名な言葉は何ですか?

本人の言葉と確かめられるものでは、「志を得ざれば再び此地を踏まず」がよく知られています。

19歳で上京するとき、生家の床柱に刻んだ決意の言葉です。

「忍耐は苦い、しかしその実は甘い」は野口英世の言葉ですか?

英世が作った言葉ではなく、英世が好んで書いた格言とみられます。

フランスの思想家ルソーの言葉として知られています。

母シカの手紙はどこで見られますか?

福島県猪苗代町の野口英世記念館に展示されています。

現存する唯一の母の手紙として紹介されています。

野口英世の最期の言葉は何ですか?

「私にはわからない…」という言葉を残したと伝えられています。

1928年5月21日、黄熱病の研究先だったアフリカのアクラで亡くなりました。

野口英世の名言のまとめ

野口英世の名言は、ネット上の定番表現を無条件に本人の言葉とせず、確認できる出典を優先して背景まで読むことで、考え方を正確につかめます。

本人の言葉と確かめられるのは、床柱に刻んだ決意の言葉や「忍耐」の文字など、決して多くはありません。

持ち帰りたい一言を選ぶなら、19歳の英世が刻んだ「志を得ざれば再び此地を踏まず」です。

一方で、「変えられるものが二つある」のように、出典が見つからないまま広まっている言葉もあります。

気になった言葉は、出典を確かめてから使ってください。

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Kotonoha

名言好きの個人ブロガーです。 研究者ではありませんが、ひとつの言葉について「誰が」「いつ」「どの場面で」語ったのかを確かめてから記事にしています。出典をたどれない言葉は、どれだけ有名でも「確認できない」と書きます。 アニメのセリフから偉人の言葉まで、背景ごと味わえる形でお届けします。

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