偉人の名言

ゴッホの名言集|芸術と人生を語る言葉を書簡・出典から解説

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麦畑が見える窓辺の机にパレットと手紙の束を置いた写真に、ゴッホの名言の題字を重ねたバナー

ゴッホの名言を調べると、「私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く」のような美しい言葉がたくさん見つかります。

ところが、その中にはゴッホの手紙のどこにも出てこない言葉も混ざっています。

ゴッホの言葉は、弟テオなどに宛てた手紙の原文から読むと、本人の考えや、その言葉を書いたときの状況まで正確につかめます。

「99回倒れても100回目に起き上がる」は1881年の手紙の言葉で、最期の言葉「悲しみは永遠に続く」はテオの手紙で伝えられたものです。

この記事のポイント

  • ゴッホの言葉の多くは、弟テオなどに宛てた手紙に残っている
  • 「99回倒れても100回目に起き上がる」は1881年の手紙の言葉
  • 「絵を描く夢を見て夢を描く」はゴッホの手紙に出てこない
  • 最期の言葉「悲しみは永遠に続く」はテオの手紙で伝えられた

ゴッホはどんな人か

フィンセント・ファン・ゴッホは、1853年3月30日にオランダのズンデルトで生まれた画家です。

画商の店員や教師、伝道師などの仕事を経て、27歳頃から本格的に絵を描き始めました。

パリで明るい色彩に出会い、南フランスのアルルで『ひまわり』などの作品を描いたあと、1890年7月29日にフランスのオーヴェール=シュル=オワーズで37歳で亡くなっています。

ゴッホは生涯にたくさんの手紙を書き、今残っている書簡は、ゴッホが書いた820通と、ゴッホに宛てた83通を合わせた903通です(出典:ファン・ゴッホ美術館)。

そのほとんどは、画商として兄を支え続けた弟テオに宛てたものです。

ゴッホの言葉を手紙の流れの中で読みたい場合は、岩波文庫の『ゴッホの手紙』(上・中・下、硲伊之助訳)があります。

上巻にはエミール・ベルナール宛ての手紙が、中巻と下巻には弟テオ宛ての手紙が収められています。

短い名言だけでは伝わらない、ゴッホの迷いや喜びまで手紙の文章から感じ取ることができます。

ほかの偉人の言葉もあわせて読みたい方は、偉人の名言を出典と背景つきで紹介した記事も参考にしてください。

手紙で確かめられるゴッホの名言一覧

まずは、この記事で紹介する言葉を、手紙の番号・宛先・日付つきで一覧にします。

手紙の番号は、ファン・ゴッホ美術館が公開している書簡集『Vincent van Gogh – The Letters』の番号です。

和訳は、書簡集の英訳をもとに当サイトで訳したものです。

名言(和訳)宛先手紙の番号・日付
自然を本当に愛していれば、どこにでも美しさを見つけられるテオ22番(1874年4月30日)
神を知るいちばんの方法は、たくさん愛することだテオ155番(1880年6月)
たとえ99回倒れても、100回目にもまた起き上がるテオ187番(1881年11月19日)
思い切って物事に手をつけなかったら、人生はどうなるだろうテオ194番(1881年12月29日)
作品を通して、取るに足らない者の心に何があるかを見せたいテオ249番(1882年7月頃)
大きなことは衝動だけでは起こらず、小さなことの積み重ねだテオ274番(1882年10月22日)
愛は永遠のもので、姿は変わっても根本は変わらないテオ330番(1883年3月18日)
「お前は画家じゃない」と心の声がしたら、そのときこそ描けテオ400番(1883年10月28日)
黄と橙なしに青はないエミール・ベルナール622番(1888年6月頃)
人を愛すること以上に芸術的なものはないテオ682番(1888年9月18日)
日本人の作品のすべてにある、この上ない明快さがうらやましいテオ686番(1888年9月)

ネットでよく見かける訳とは言い回しが少し違うものもありますが、ここでは手紙の原文に近い訳で紹介します。

挑戦と挫折についての言葉

ゴッホは画家になる前も後も、失敗や挫折を何度も経験しました。

ここでは、うまくいかない日々の中で、弟テオに自分を奮い立たせるように書いた言葉を紹介します。

99回倒れても、100回目にも起き上がる

1881年11月19日、オランダのエッテンから、ゴッホはテオにこう書いています(出典:Vincent van Gogh – The Letters)。

「たとえ99回倒れても、100回目にもまた起き上がる!」

この頃のゴッホは、いとこのケーに思いを寄せながら受け入れてもらえず、苦しい時期を過ごしていました。

何度うまくいかなくても、あきらめずに立ち上がろうとするゴッホの粘り強さが表れた言葉です。

思い切って物事に手をつけなかったら

1881年12月29日、ハーグからの手紙で、ゴッホは「危険のただ中にこそ安全がある」と書き、続けて「思い切って物事に手をつけなかったら、人生はどうなるだろう」と問いかけています。

ネットでは「何かに挑戦する勇気がなかったら、人生はどうなるだろう」という訳で広まっている言葉です。

危険を避けてばかりでは何も始まらないという、画家として歩み出したばかりのゴッホの決意がうかがえます。

大きなことは衝動だけでは起こらない

1882年10月22日、ハーグからテオに宛てた手紙で、ゴッホは「大きなことは衝動だけで起こるのではなく、小さなことを積み重ねたものだ」と書いています。

ネットでは「偉業は衝動でなされるものではない」と紹介されることが多いのですが、手紙では「衝動だけで」と書かれていて、情熱そのものを否定しているわけではありません。

激しい筆づかいの印象が強いゴッホですが、日々のデッサンや習作を地道に積み重ねることを大切にしていました。

心の声が「描けない」と言ったら

1883年10月28日、オランダのドレンテ地方から、ゴッホはテオに「自分の中の何かが『お前は画家じゃない』と言うなら、そのときこそ描くべきだ。そうすればその声も黙る」と書いています。

自分を疑う気持ちを、考えるのではなく描くという行動で乗り越えようとした言葉です。

不安で手が止まりそうなときに、まず動いてみることの大切さを教えてくれます。

取るに足らない者の心にあるもの

1882年7月頃、ハーグからの手紙で、ゴッホは多くの人の目には自分は取るに足らない者か変わり者に見えるだろうと書いています。

そのうえで、「作品を通して、そんな変わり者、取るに足らない者の心に何があるのかを見せたい」と続けました。

世間に認められなくても、自分の心にあるものを絵で伝えたいという、ゴッホの画家としての出発点が表れた言葉です。

人を愛することと自然についての言葉

ゴッホは若い頃に伝道師を目指したこともあり、人や自然を愛することについてたくさんの言葉を残しています。

人を愛すること以上に芸術的なものはない

1888年9月18日、アルルからの手紙で、ゴッホはテオに「考えれば考えるほど、人を愛すること以上に本当に芸術的なものはないと感じる」と書いています(出典:Vincent van Gogh – The Letters)。

この言葉の直前には、画家たちに親切にしてくれるテオへの感謝が書かれていました。

絵を描くことと人を大切にすることを、同じくらい価値のあるものとして見ていたことが分かります。

神を知るいちばんの方法は、たくさん愛すること

1880年6月頃、ベルギーの炭鉱地帯クエムから、ゴッホはテオに「神を知るいちばんの方法は、たくさん愛することだと、つい信じたくなる」と書いています。

続けて、友人でも、人でも、物でも、好きなものを愛せばいいと書いており、ネットで広まっている「多くのものを愛しなさい」という訳のもとになっています。

伝道師の道を断たれたあと、宗教の形より、身近なものを愛することに大切なものを見いだそうとした言葉です。

愛は永遠のもの

1883年3月18日、ハーグからの手紙で、ゴッホは「愛は永遠のもので、その姿は変わっても、根本は変わらない」と書いています。

形は変わっても、誰かを思う気持ちの芯は変わらないという、ゴッホの愛についての考え方です。

自然を本当に愛していれば

1874年4月30日、まだ画商として働いていたロンドンから、21歳のゴッホはテオに「自然を本当に愛していれば、どこにでも美しさを見つけられる」と書いています。

画家になるずっと前から、身近な風景の中に美しさを見いだす目を持っていたことが分かる言葉です。

色彩と日本への憧れについての言葉

ゴッホの絵の鮮やかな色づかいには、色の組み合わせについての深い考えと、日本の浮世絵への強い憧れがありました。

ほかの画家の言葉も読みたい方は、ピカソの名言を紹介した記事もあわせて読んでみてください。

黄と橙なしに青はない

1888年6月頃、アルルから画家仲間のエミール・ベルナールに宛てた手紙で、ゴッホは「黄と橙なしに青はない。青を使うなら、黄と橙も使いなさい」と書いています(出典:Vincent van Gogh – The Letters)。

青は、反対の色である黄や橙と並べることで、いちばん生き生きと見えるという考え方です。

『夜のカフェテラス』や『星月夜』に見られる青と黄の組み合わせにも、この考えが生かされています。

日本人の明快さがうらやましい

1888年9月、アルルからの手紙で、ゴッホはテオに「日本人の作品のすべてにある、この上ない明快さがうらやましい」と書いています。

続けて、日本の作品は決して退屈ではなく、急いで描いたようにも見えないと感心しています。

同じ年の5月7日の手紙では、アルルの自然について「日本の美術のようなもので、一度好きになったら迷うことがない」とも書いており、南フランスに日本の姿を重ねていたことが分かります。

最期の言葉「悲しみは永遠に続く」

ゴッホは1890年7月27日に自らを銃で撃ち、2日後の7月29日に、駆けつけた弟テオに看取られて亡くなりました。

その最期の言葉として知られるのが、フランス語の「La tristesse durera toujours(悲しみは永遠に続く)」です。

この言葉は、テオが1890年8月5日に妹のエリザベートに宛てた手紙の中で伝えたもので、テオは兄がその言葉で何を言いたかったのか分かったと書いています。

ゴッホ自身の手紙ではなく、そばにいたテオが書き残した言葉であることは、知っておきたい点です。

ゴッホの言葉ではない・出典が確認できない名言

ゴッホの名言として広まっている言葉の中には、手紙の中に見当たらないものがあります。

よく見かける言葉の出どころを整理します。

「私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く」

「I dream of painting and then I paint my dream」は、ゴッホの代表的な名言としてよく紹介されています。

しかし、ゴッホの手紙にはこの言葉は見当たらず、フランスの画家カミーユ・コローの言葉として1900年代初めから伝わっていた言葉がもとになったと考えられています。

「後悔することがなければ、人生はとても空虚だ」

「Your life would be very empty if you had nothing to regret」も、ゴッホの言葉として広まっていますが、手紙の中には同じ内容の文が見当たりません。

いつ、誰が言い始めたのかは確認できていないため、出典不明の言葉として扱うのが安心です。

「作品に心と魂を込め、その過程で正気を失った」

「I put my heart and my soul into my work, and have lost my mind in the process」は、亡くなる直前に書かれ、送られなかった手紙の下書きの一文を大きく言い換えたものです。

下書きには「自分の仕事に命をかけ、そのために理性も半ばだめになった」という内容が書かれていましたが、広まっている英文そのものは手紙にはありません。

「美しい景色を探すな、景色の中に美しいものを見つけよ」

この言葉も日本の名言サイトでよく見かけますが、手紙の中には見当たりません。

意味の近い本物の言葉としては、1874年の手紙にある「自然を本当に愛していれば、どこにでも美しさを見つけられる」があります。

ゴッホの名言に関するよくある質問

ゴッホの名言はどこに残っているのですか?

多くは、弟テオや画家仲間に宛てた手紙に残っています。

ファン・ゴッホ美術館が、手紙の原文と英訳をまとめた書簡集を公開しています。

ゴッホの短い名言はありますか?

1881年の手紙にある「たとえ99回倒れても、100回目にもまた起き上がる」は、短く出典もはっきりした言葉です。

色について書いた「黄と橙なしに青はない」もよく知られています。

「悲しみは永遠に続く」は本当にゴッホの最期の言葉ですか?

最期を看取った弟テオが、妹に宛てた1890年8月5日の手紙でそう伝えています。

ゴッホ本人が書いた文章ではなく、テオが書き残した言葉です。

落ち込んだときに読みたいゴッホの言葉はどれですか?

自分を疑ってしまうときは、「『お前は画家じゃない』と心の声がしたら、そのときこそ描け」という1883年の手紙の言葉が背中を押してくれます。

うまくいかないことが続くときは、「99回倒れても」の言葉も読み返したくなります。

ゴッホの名言のまとめ

ゴッホの名言は、弟テオなどに宛てた手紙を読むと、言葉が生まれたときの迷いや喜びまで伝わってきます。

一方で、「絵を描く夢を見て夢を描く」のように、手紙に出てこない言葉も本人の名言として広まっています。

一つだけ持ち帰るなら、1881年の手紙にある「たとえ99回倒れても、100回目にもまた起き上がる」です。

うまくいかない日が続いても、もう一度だけ立ち上がってみてください。

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Kotonoha

名言好きの個人ブロガーです。 研究者ではありませんが、ひとつの言葉について「誰が」「いつ」「どの場面で」語ったのかを確かめてから記事にしています。出典をたどれない言葉は、どれだけ有名でも「確認できない」と書きます。 アニメのセリフから偉人の言葉まで、背景ごと味わえる形でお届けします。

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