「東洋道徳、西洋芸術」や、上洛の前に示したとされる和歌は、佐久間象山の名言として知られています。
ただ、佐久間象山の名言として広まっている言葉には、本人の著作や手紙に見当たらないものや、ドラマの台詞、古典の言葉が混ざっているものもあります。
佐久間象山の名言は、獄中でまとめた『省諐録』や漢詩、和歌、手紙など、出典をたどれる言葉を書き下し文と現代語訳で読むことで、幕末に世界を見すえた象山の考え方を正しくつかめます。
象山の名言には出典と意味をそえ、門人の吉田松陰を評した言葉や、ドラマや『孫子』の言葉が象山の名言として広まった例も扱っています。
この記事のポイント
- 「東洋道徳、西洋芸術」は、獄中の思索をまとめた『省諐録』の言葉
- 「折にあへば散るもめでたし山ざくら」は、事実上の辞世とされる和歌
- 「神は容赦なく取り消す」は、ドラマ『JIN-仁-』の台詞
- 「兵は国の大事」は、中国の兵法書『孫子』の言葉
佐久間象山の名言一覧
この記事で紹介する主な言葉を、出典つきで一覧にします。
| 名言 | 出典 | テーマ |
|---|---|---|
| 東洋の道徳、西洋の芸術 | 『省諐録』(1854年ごろ) | 学問・技術 |
| 四十以後、乃ち五世界に繋ること有るを知る | 『省諐録』 | 志 |
| 謗る者は汝の謗るに任す | 漢詩『漫述』 | 生き方 |
| 此の子、霊骨有り | 漢詩『吉田義卿を送る』(1854年) | 人物評 |
| 折にあへば散るもめでたし山ざくら | 和歌(1864年の上洛時) | 覚悟 |
佐久間象山とは
佐久間象山は、1811年に信濃国の松代藩(今の長野県長野市松代町)の藩士の家に生まれた、幕末の思想家・兵学者です。
江戸で儒学者の佐藤一斎に学び、のちに藩主・真田幸貫が幕府の海防掛になったことをきっかけに、西洋の砲術やオランダ語を学んで、海外の科学や技術を取り入れることを説きました。
江戸の木挽町で開いた塾には、勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰、橋本左内など、のちに幕末を動かす人物たちが学んでいます(参考:象山神社)。
1854年、門人の吉田松陰がペリーの船で海外へ渡ろうとして失敗した事件に連座して投獄され、その後は松代で長い蟄居生活を送りました。
1864年、幕府の命で京都へ上り、開国を説いて活動していたところ、7月11日に三条木屋町で攘夷派に襲われて亡くなりました。
名前の読み方は、学校の教科書などでは「しょうざん」が多い一方、地元の松代では「ぞうざん」と呼ばれ、象山神社も「ぞうざん」と読みます。
象山の生涯と思想をくわしく知りたいなら、伝記を読むと、名言が生まれた背景まで理解できます。
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『省諐録』に残る名言
『省諐録』は、象山が松陰の事件で獄に入っていたときに考えた内容を、出獄後に漢文で書き記した本で、題名には「過ちを省みる」という意味があります。
東洋の道徳、西洋の芸術
象山の思想を表す言葉で、「東洋道徳、西洋芸術」とも言われます。
ここでいう「芸術」は今の美術ではなく、科学や技術のことで、心の支えとしての東洋の道徳を守りながら、西洋の優れた技術を取り入れるべきだ、という意味です。
西洋の学問を学ぶことに強い反発があった時代に、日本らしさを失わずに近代化を進める道を示した言葉で、門人たちに大きな影響を与えました。
四十以後、乃ち五世界に繋ること有るを知る
『省諐録』で、二十歳を過ぎて一国(藩)に、三十歳を過ぎて天下(日本)に、四十歳を過ぎて五世界(世界全体)に、自分が関わっていると知った、と振り返る言葉の結びです。
年を重ねるごとに視野を広げ、ついには世界の中の日本を考えるようになった象山の歩みが、短い言葉にまとめられています。
海防についての名言
象山が西洋の学問に打ち込んだきっかけは、清がアヘン戦争でイギリスに敗れたことへの強い危機感でした。
諸国海岸要害の所には砲台を築いて平常大砲を備えおくべし
1842年、海防掛になった藩主の真田幸貫に差し出した意見書『海防八策』に記された考えで、全国の海岸の大切な場所に砲台を築き、ふだんから大砲を備えておくべきだ、という意味です。
『海防八策』では、大砲を造るための銅の確保や、西洋式の軍艦づくり、人材を育てる教育まで、国を守るための仕組みを幅広く提案しています。
彼の善とする所を善として、己の能とする所を喪わず
『省諐録』にある考え方で、相手(西洋)の優れているところをすべて学び取りながら、自分たちの強みは失わない、という意味です。
敵を知ることから始めるという姿勢は、「東洋道徳、西洋芸術」と同じく、学ぶことで国を守ろうとした象山らしい考え方を表しています。
漢詩と手紙に残る名言
象山は漢詩や手紙にも、自分の生き方や、門人への思いを書き残しています。
謗る者は汝の謗るに任す、嗤う者は汝の嗤うに任す
漢詩『漫述』の一節で、「天公本我を知る、他人の知るを覓めず」と続きます。
悪く言う者には言わせておけ、笑う者には笑わせておけ、天は本当の自分を知っているから、他人に理解されることは求めない、という意味です。
周りの保守的な人々から理解されず、批判を受け続けた象山の、強い自負と信念が込められています。
此の子、霊骨有り
1854年、海外へ渡ろうとする吉田松陰に贈った漢詩『吉田義卿を送る』の一節で、この青年には並外れた才能がある、という意味です。
象山は松陰の計画を止めず、自分の目で世界を見てくるよう送り出し、事件のあとも手紙の中で松陰を「忠直義烈の士」とたたえました。
弟子の挑戦を誇りに思い、自分が罰を受けても松陰を責めなかった、師としての象山の姿が伝わります。
象山の門人の言葉は、吉田松陰の名言を解説した記事で紹介しています。
辞世とされる和歌
象山の最期を語るときによく紹介されるのが、上洛の前に示したと伝えられる和歌です。
折にあへば散るもめでたし山ざくら めづるは花のさかりのみかは
時にかなって散る山桜もすばらしい、桜を愛でるのは満開の時だけだろうか、という意味の和歌です。
1864年、京都の不穏な情勢を心配して引き留める人々に、以前に詠んだこの歌を示して出発したと伝えられ、その上洛で命を落としたため、事実上の辞世として語り継がれています。
ネットでは「時にあわば散るもめでたし桜花」と紹介されることもありますが、伝わっている形は「折にあへば」で始まる上の和歌です。
佐久間象山の言葉ではない名言
佐久間象山の名言として紹介される言葉の中には、本人の著作や手紙に見当たらないものもあります。
「お前のやったことが意に添わぬことであったら、神は容赦なく取り消す」
テレビドラマ『JIN-仁-』で、俳優が演じた佐久間象山が、主人公に語りかける台詞です。
ドラマの中の象山の言葉としては印象的ですが、史実の象山が残した言葉ではありません。
「兵は国の大事」
中国の古い兵法書『孫子』の冒頭にある言葉で、象山が考えた言葉ではありません。
兵学者だった象山が『孫子』を学び、教えていたことから、象山の言葉のように紹介されるようになったと考えられます。
出典が見つからない言葉
「失敗するから成功がある」「政治とは人で決まるもの」「天下の大計を知らず」などの言葉は、象山の著作や手紙には同じ文言が見当たりません。
大砲の試射に失敗しても動じなかったという逸話や、『省諐録』の幕府批判を、あとの時代にわかりやすく言い換えたものが、象山の言葉として広まったと考えられます。
佐久間象山の名言に関するよくある質問
「東洋道徳、西洋芸術」とはどういう意味ですか?
東洋の道徳を心の支えにしながら、西洋の科学や技術を取り入れるべきだという意味です。
佐久間象山の辞世の句は?
「折にあへば散るもめでたし山ざくら めづるは花のさかりのみかは」が、事実上の辞世として伝えられています。
佐久間象山は「しょうざん」と「ぞうざん」のどちらで読みますか?
教科書などでは「しょうざん」が多く、地元の松代では「ぞうざん」と呼ばれています。
佐久間象山の弟子には誰がいますか?
勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰、橋本左内などが象山の塾で学びました。
佐久間象山の名言まとめ
佐久間象山の名言は、獄中でまとめた『省諐録』や漢詩、和歌、手紙など、出典をたどれる言葉を書き下し文と現代語訳で読むことで、幕末に世界を見すえた象山の考え方を正しくつかめます。
「東洋道徳、西洋芸術」や「五世界に繋ること有るを知る」には、日本を守るために世界を学ぼうとした象山の志が表れています。
一方で、ドラマの台詞や『孫子』の言葉が、象山の名言として広まっている例もあります。
持ち帰りたい一言を選ぶなら、「東洋の道徳、西洋の芸術」です。
気になった言葉は、『省諐録』や伝記にあたって、幕末の時代背景ごと味わってみてください。