モーツァルトの名言として広まっているのが、「夢を見るから人生は輝く」や「旅をしない音楽家は不幸だ」です。
ところが、モーツァルトの名言として広まっている言葉の中には、本人の手紙に見当たらないものや、後の時代に作られた「偽の手紙」から生まれたものもあります。
モーツァルトの名言はネット上の定番表現を無条件に本人の言葉とせず、手紙など確認できる出典を優先し、背景まで読むことで考え方を正確につかめます。
モーツァルトの言葉の多くは父や妻に宛てた手紙に残っていて、死を「人間の最良の友」と書いたのは1787年4月4日の父への手紙です。
この記事のポイント
- モーツァルトの言葉の多くは、父や妻に宛てた手紙に残っている
- 死を「人間の最良の友」と書いたのは、1787年4月4日の父への手紙
- 「馬車の中でアイデアが湧く」は、後の時代に作られた偽の手紙の言葉
- 「死とはモーツァルトを聴けなくなること」はアインシュタインの言葉
モーツァルトの名言一覧
この記事で紹介する主な名言を、出典つきで一覧にします。
| 名言 | 出典 | 分類 |
|---|---|---|
| 私は詩人ではない。でも音でなら表現できる。私は音楽家なのだから | 父への手紙(1777年11月8日) | 本人の手紙 |
| 死は、人間の真の最良の友 | 父への手紙(1787年4月4日) | 本人の手紙 |
| 神様の次はパパ | 幼い頃の口ぐせとして伝わる | 家族の記録 |
| 馬車で旅をしているときにアイデアが湧く | 1815年に公表された手紙 | 偽の手紙 |
| 死とはモーツァルトを聴けなくなることだ | アインシュタインの言葉 | 別人の言葉 |
| 夢を見るから人生は輝く | 出典なし | 出典不明 |
モーツァルトとは
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、1756年にザルツブルク(今のオーストリア)で生まれ、1791年にウィーンで35歳で亡くなった作曲家です。
音楽家の父レオポルトから幼い頃に音楽を学び、姉とともにヨーロッパ各地を回る演奏旅行で「神童」と呼ばれました。
1781年にザルツブルクの大司教と対立して仕えるのをやめ、ウィーンで特定の主人に仕えない音楽家として活動を始めました。
ウィーンでは、オペラ『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『魔笛』や、交響曲第41番『ジュピター』など、今も世界中で演奏される名曲を次々に作曲しました。
1791年には『レクイエム』の作曲を頼まれますが、完成させる前に亡くなり、弟子のジュースマイヤーが続きを書いて完成させました。
モーツァルトと家族の手紙は、国際モーツァルテウム財団がデジタル版の書簡集として公開しています(出典:国際モーツァルテウム財団 デジタル・モーツァルト・エディション)。
モーツァルトの手紙は日本語訳で読むことができ、明るく冗談好きな人柄や、家族への愛情がよく伝わってきます。
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手紙に残る音楽についての名言
モーツァルトの本当の言葉は、家族に宛てたたくさんの手紙の中に残っています。
私は詩人ではない。でも音でなら表現できる。私は音楽家なのだから
1777年11月8日、旅先のマンハイムから父レオポルトの誕生日に宛てた手紙の言葉です。
「詩的に書くことはできない」と言いながら、お祝いの気持ちは音楽で表せると書いたところに、音楽家としての誇りと父への愛情があふれています。
このときモーツァルトは21歳で、母と一緒に職を探す旅の途中でした。
思うように仕事が見つからない旅の中でも、音楽で生きていくという気持ちが揺らいでいなかったことが伝わってきます。
他人の賞賛や非難など一切気にしない。自分自身の感性に従うのみだ
1781年、ウィーンで独立したころに父へ宛てた手紙の言葉として紹介されることが多い言葉です。
大司教のもとを離れ、自分の力で音楽家として生きていこうとした時期の、強い自信と独立心が表れた言葉とされています。
家族と死生観についての名言
父や妻への手紙には、家族への深い愛情や、死についての考え方も書かれています。
神様の次はパパ
幼いモーツァルトの口ぐせとして伝わる言葉で、厳しくも愛情をこめて音楽を教えてくれた父を、どれほど慕っていたかがわかります。
大人になってからは、結婚や仕事のことで父と意見がぶつかることもありましたが、手紙のやりとりは父が亡くなるまで続きました。
妻コンスタンツェに宛てた手紙には、会えない寂しさや愛情を、冗談を交えながらつづったものも多く残っています。
死は、人間の真の最良の友
1787年4月4日、重い病気になった父レオポルトを気づかってウィーンから送った手紙の言葉です。
死は人生の本当の最終目標なのだから、この数年で死という「人間の真の最良の友」とすっかり親しくなり、今では恐ろしいどころか心を安らかにしてくれるものになった、と書いています。
この考え方には、1784年に入会したフリーメイソンの思想の影響があるともいわれ、死を恐ろしい罰ではなく、本当の幸せへの入り口として受け止めようとしています。
病気の父を励ますために、自分なりの死生観をていねいに書き送ったところに、モーツァルトの父への思いがにじんでいます。
この手紙から約2か月後に父は亡くなり、この時期の作品には死の影が見られると指摘する研究者もいます。
偉人のほかの名言もあわせて読みたい方は、偉人の名言集を解説した記事も読んでみてください。
モーツァルトの名言として誤って広まった言葉
モーツァルトの名言として紹介される言葉の中には、偽の手紙や別の人の言葉が元になっているものもあります。
馬車で旅をしているときや食後の散歩中、眠れない夜にアイデアが湧く
1815年、音楽雑誌の編集者フリードリヒ・ロホリッツが「モーツァルトの手紙」として公表した文章の言葉です。
研究者の調査で、この手紙はモーツァルト本人のものではなく、後から作られたものと考えられています。
実際のモーツァルトは、バッハやハイドンなど先人の作品を熱心に研究し、時間をかけて作曲していたことが手紙や楽譜の下書きからわかっています。
死とはモーツァルトを聴けなくなることだ
モーツァルトの言葉として紹介されることがありますが、物理学者アインシュタインの言葉として知られているものです。
多くのことをなす近道は、一度にひとつのことだけをすることだ
モーツァルトの手紙には見当たらず、イギリスの聖職者リチャード・セシルの言葉が元になったと考えられています。
夢を見るから人生は輝く
モーツァルトの名言としてネットでよく見かけますが、手紙を含むどの資料にも元になる言葉が見つかっていません。
「愛、愛、愛、それこそが天才の魂である」や「旅をしない音楽家は不幸だ」も、手紙の中でそのままの形を確かめることはできていません。
映画『アマデウス』で広まったイメージ
1984年の映画『アマデウス』で描かれた、宮廷楽長サリエリがモーツァルトに嫉妬して死に追いやったという話は、史実ではなく創作です。
実際のサリエリはウィーンの音楽界の中心にいた人物で、モーツァルトの死後には、その息子に音楽を教えたことも伝えられています。
また、貧しさの中で見捨てられて共同墓地に葬られたという描かれ方についても、当時のウィーンでは共同墓地への埋葬は珍しいことではなかったと指摘されています。
モーツァルトの名言に関するよくある質問
「夢を見るから人生は輝く」はモーツァルトの言葉ですか?
モーツァルトの手紙を含むどの資料にも元になる言葉が見つかっておらず、出典は不明です。
モーツァルトは死についてどんな言葉を残していますか?
1787年4月4日の父への手紙で、死を「人間の真の最良の友」と書いています。
「死とはモーツァルトを聴けなくなること」は誰の言葉ですか?
モーツァルトではなく、物理学者アインシュタインの言葉として知られています。
モーツァルトの手紙を日本語で読める本は?
岩波文庫の『モーツァルトの手紙』や、白水社の『モーツァルト書簡全集』があります。
モーツァルトの名言まとめ
モーツァルトの名言はネット上の定番表現を無条件に本人の言葉とせず、手紙など確認できる出典を優先し、背景まで読むことで考え方を正確につかめます。
手紙に残る言葉からは、音楽家としての誇りと、家族を大切に思う人間らしい姿が伝わってきます。
「馬車の中でアイデアが湧く」や「夢を見るから人生は輝く」のように、偽の手紙や出典のない言葉も広まっています。
持ち帰りたい一言を選ぶなら、父への手紙に書いた「私は音楽家なのだから」という言葉です。
気になった言葉は、手紙の日本語訳で前後の文章ごと味わってみてください。