伊達政宗の名言として知られるのが、「仁に過ぐれば弱くなる」で始まる遺訓や、「曇りなき心の月」の辞世の句です。
ただ、「仁に過ぐれば弱くなる」で始まる遺訓『五常訓』は政宗本人の記録が見つかっておらず、「敵を知り己を知れば」も中国の兵法書『孫子』の言葉です。
伊達政宗の名言は、仙台藩の記録や側近の書き留めた言行録に残る言葉と、後の時代に政宗の名で広まった言葉を区別して読むことで、政宗本人の考え方と美学を正しくつかめます。
この記事では、辞世の句や漢詩、料理ともてなしの言葉など、史料で出典をたどれる伊達政宗の名言を意味つきで紹介し、遺訓『五常訓』が政宗の言葉とされるようになった経緯や、誤って広まった名言まで解説します。
この記事のポイント
- 辞世の句は、仙台藩の記録『伊達治家記録』に残る和歌
- 料理の名言は、側近が書き留めた『命期集』の言葉
- 遺訓『五常訓』は、政宗本人の記録が見つかっていない
- 「敵を知り己を知れば」は、中国の兵法書『孫子』の言葉
伊達政宗の名言一覧
この記事で紹介する主な言葉を、出典と確認状況つきで一覧にします。
| 名言 | 出典 | 確認状況 |
|---|---|---|
| 曇りなき心の月を先だてて浮世の闇を照してぞ行く | 『伊達治家記録』 | 辞世として記録あり |
| 馬上少年過ぐ | 漢詩『酔余口号』 | 晩年の作として伝わる |
| 仮初にも人に振舞候は、料理第一の事なり | 『命期集』 | 側近の記録あり |
| 大事の義は人に談合せず | 『名将言行録』 | 後世の逸話集 |
| 仁に過ぐれば弱くなる | 遺訓『五常訓』 | 政宗の記録は見つからない |
| 敵を知り己を知れば百戦危うからず | 『孫子』 | 別人の言葉 |
伊達政宗とは
伊達政宗は、1567年に出羽国の米沢城(今の山形県米沢市)で生まれた戦国大名で、仙台藩の初代藩主です。
幼いころに疱瘡(天然痘)にかかって右目の視力を失い、18歳で伊達家を継ぐと、周りの大名を次々に破って奥州に大きな勢力を築きました。
1590年、豊臣秀吉の小田原攻めに遅れて参陣したときは、白装束で秀吉の前に出て許されたという逸話が知られています。
関ヶ原の戦いのあと、1601年から仙台城と城下町の建設を始め、1613年には家臣の支倉常長をヨーロッパへ送る慶長遣欧使節を派遣しました。
1636年に70歳で亡くなり、遺言によって翌年、仙台の経ケ峯に霊屋の瑞鳳殿が造られました(参考:瑞鳳殿)。
「独眼竜」の呼び名で知られていますが、政宗が生きていた時代にそう呼ばれていたことを示す記録は見つかっておらず、後の時代に広まった呼び名と考えられています。
伊達氏研究の第一人者だった小林清治さんの『伊達政宗』は、史料をもとに政宗の生涯をたどった一冊で、名言の背景を確かめるのに役立ちます。
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辞世の句と漢詩に残る名言
政宗は和歌や漢詩にも通じた文化人で、人生の終わりに向き合った言葉が今も残っています。
曇りなき心の月を先だてて浮世の闇を照してぞ行く
仙台藩の公式記録『伊達治家記録』に、1636年に亡くなった政宗の辞世として収められている和歌です。
先の見えない闇のような世の中を、曇りのない自分の心の月を頼りに照らしながら進んできた、という意味です。
戦国の乱世を生き抜き、藩を築き上げた政宗の、自分の信念に対する強い自負が込められています。
馬上少年過ぐ 世平らかにして白髪多し
政宗が晩年に詠んだと伝わる漢詩『酔余口号』の前半で、「残躯天の赦す所 楽しまずんば是れ如何せん」と続きます。
馬に乗って戦場を駆けた若いころは過ぎ去り、世は平和になって自分の髪も白くなった、生き残ったこの身は天が許してくれたものだから、楽しまずにどうしようか、という意味です。
戦いに明け暮れた若き日と、泰平の世の穏やかな晩年を対比させ、残された人生を味わおうとする政宗の心境が表れています。
料理ともてなしの名言
政宗は料理に強いこだわりを持っていたことで知られ、そのもてなしの考え方は、側近が政宗の言行を書き留めた『命期集』に残っています。
仮初にも人に振舞候は、料理第一の事なり
ちょっとした席であっても、人をもてなすときは料理が何より大切だ、という意味です。
政宗は客をもてなす料理を自ら考えることもあったと伝えられ、もてなしを人と人との関係を築く大切な場と考えていたことがわかります。
料理の心なきは、高下に寄らず、賤しき者
同じく『命期集』に残る言葉で、料理の心得がない人は、身分が高くても低くても心の貧しい者だ、という意味です。
料理を単なる食事ではなく、相手を思う心の表れとして大切にした政宗の美学が伝わります。
後の時代の記録に残る名言
政宗が亡くなってから長い年月がたってまとめられた逸話集にも、政宗の言葉とされるものが収められています。
大事の義は人に談合せず、一心に究めたるがよし
幕末から明治にかけて岡谷繁実がまとめた逸話集『名将言行録』に、政宗の言葉として収められています。
大切なことは人に相談せず、自分ひとりで考え抜いて決めるのがよい、という意味で、決断の重さを語る言葉として知られています。
ただし『名将言行録』は後の時代にまとめられた本で、政宗が本当にこのとおりに語ったかは確かめられていません。
茶器を割ったのではない
高価な茶器を落としそうになって動揺した自分を恥じ、あえてその茶器を割ったという逸話にまつわる言葉です。
物に心を乱されない政宗らしい話として紹介されますが、政宗の時代の記録には見当たらず、後の時代に語られるようになった逸話と考えられます。
ほかの戦国武将の言葉もあわせて読みたい方は、戦国武将の名言を解説した記事も読んでみてください。
遺訓『五常訓』は政宗の言葉か
伊達政宗の遺訓として最もよく紹介されるのが、儒教の「仁・義・礼・智・信」の5つの徳を説く『五常訓』です。
仁に過ぐれば弱くなる、義に過ぐれば固くなる
『五常訓』の冒頭で、思いやりが過ぎると弱くなり、正しさにこだわり過ぎると頑固になる、という意味です。
このあと「礼に過ぐれば諂いとなる」「智に過ぐれば嘘を吐く」「信に過ぐれば損をする」と続き、どんな徳も行き過ぎれば欠点になるという教えになっています。
この世に客に来たと思えば何の苦もなし
同じ『五常訓』の一節で、「朝夕の食事はうまからずとも褒めて食ふべし」とも続きます。
自分はこの世に客として来ているのだと思えば、多少の不自由も苦にならず、出された食事に文句を言わずに感謝していただける、という意味です。
政宗の記録に見つからない理由
伊達家の古文書や仙台藩の記録には、『五常訓』にあたる文章は見つかっていません。
政宗の遺訓として本に載った早い例は、明治27年(1894年)の雑誌『好古叢誌』とされ、それより前には、ほぼ同じ文章が水戸光圀の遺訓として伝わっていた例もあります。
江戸時代に広く読まれていた教訓が、明治時代以降に政宗の名と結びついて広まったと考えられ、政宗本人の言葉として紹介するときは注意が必要です。
伊達政宗の言葉ではない名言
伊達政宗の名言として紹介される言葉の中には、別の人の言葉や、出典がまったく見つからないものもあります。
「敵を知り己を知れば、百戦危うからず」
中国の古い兵法書『孫子』の言葉で、政宗の言葉ではありません。
戦国武将たちは『孫子』を兵法の教養として学んでいたため、武将の名言としてまとめられるうちに、政宗の言葉のように紹介されるようになったと考えられます。
「人生は短い。だからこそ、美しく生きなければならない」
名言を集めたサイトでよく見かけますが、江戸時代の記録や伊達家の記録には見当たりません。
「まともでない人間の相手をまともにすることはない」「時を移さず行うは勇将の本望なり」も同じく、政宗が語ったことを示す記録は見つかっていません。
伊達政宗の名言に関するよくある質問
伊達政宗の辞世の句は?
「曇りなき心の月を先だてて浮世の闇を照してぞ行く」で、仙台藩の記録『伊達治家記録』に残っています。
伊達政宗の遺訓『五常訓』は本人の言葉ですか?
伊達家や仙台藩の記録には見つかっておらず、明治時代以降に政宗の遺訓として広まったと考えられています。
伊達政宗の料理に関する名言は?
「仮初にも人に振舞候は、料理第一の事なり」で、側近の記録『命期集』に残っています。
伊達政宗の短い名言は?
漢詩『酔余口号』の「馬上少年過ぐ」がよく知られています。
伊達政宗の名言まとめ
伊達政宗の名言は、仙台藩の記録や側近の書き留めた言行録に残る言葉と、後の時代に政宗の名で広まった言葉を区別して読むことで、政宗本人の考え方と美学を正しくつかめます。
辞世の句や『酔余口号』には乱世を生き抜いた自負と晩年の達観が、『命期集』の言葉には料理ともてなしへのこだわりが表れています。
一方で、遺訓『五常訓』や『孫子』の言葉のように、政宗の名で広まった別の教えもあります。
持ち帰りたい一言を選ぶなら、辞世の「曇りなき心の月を先だてて浮世の闇を照してぞ行く」です。
気になった言葉は、記録や本にあたって、政宗の生きた時代の背景ごと味わってみてください。