ゾーマの名言の代表は、最後の戦いの前の「なにゆえ もがき いきるのか?」と、倒されたときの「ひかりあるかぎり やみも また ある」です。
ただ、ゾーマのセリフはファミコン版とリメイク版で言い回しが違うものがあり、「私もかつては人間だった」はゲームではなく漫画のセリフです。
ゾーマの名言は、セリフだけでなく、どの場面で、どの版のゲームで語られた言葉かまで確かめると、「滅び」に美しさを見る大魔王の価値観と、ドラクエ3の物語の結末がよくわかります。
この記事では、『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』の大魔王ゾーマのセリフを、登場の場面から最後のセリフまで意味つきで紹介し、版による違いや、ゲームにはない言葉まで解説します。
この記事のポイント
- 「なにゆえ もがき いきるのか?」は最後の戦いの前のセリフ
- 最後のセリフ「ひかりあるかぎり やみも また ある」は次の物語につながる言葉
- ファミコン版とリメイク版では、同じ場面でも言い回しが違う
- 「私もかつては人間だった」は、ゲームではなく漫画のセリフ
ゾーマの名言一覧
この記事で紹介する主なゾーマのセリフを、場面つきで一覧にします。
| セリフ | 場面 |
|---|---|
| わしは やみのせかいを しはいする だいまおう ゾーマじゃ | アリアハンの城に声が響く場面(ファミコン版) |
| そなたらの くるしみは わしの よろこびなのじゃ | 同じ場面(ファミコン版) |
| なにゆえ もがき いきるのか? | 最後の戦いの前 |
| ほろびこそ わが よろこび | 最後の戦いの前 |
| しにゆくものこそ うつくしい | 最後の戦いの前 |
| よくぞ わしを たおした | 倒されたとき(最後のセリフ) |
| ひかりあるかぎり やみも また ある | 倒されたとき(最後のセリフ) |
ゾーマとは
ゾーマは、1988年2月10日に発売されたファミコン用ソフト『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』に登場する大魔王で、シリーズで初めて「大魔王」として登場した最後の敵です。
勇者たちが倒すべき相手だと思っていた魔王バラモスの、さらに上に立つ存在で、光の届かない闇の世界アレフガルドを支配しています。
1996年12月6日にスーパーファミコン版、2024年11月14日にHD-2D版のリメイクが発売され、最後の戦いで流れるすぎやまこういちさんの曲「勇者の挑戦」とともに、今も語り継がれています(参考:ドラゴンクエストIII 公式サイト)。
ドラクエシリーズの名セリフをまとめて読むなら、2016年に出版された『ドラゴンクエスト名言集 しんでしまうとは なにごとだ!』がおすすめです。
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登場の場面のセリフ
ゾーマが最初に存在を見せるのは、バラモスを倒した勇者の帰りを祝う、アリアハンの城の場面です。
わしは やみのせかいを しはいする だいまおう ゾーマじゃ
祝いの席に突然雷が落ち、どこからともなく響く声で、ゾーマが自分の名を名乗るファミコン版のセリフです。
リメイク版では「わが名は ゾーマ 闇の世界を 支配する者」という、より重々しい言い回しに変わっていて、版によって印象が少し違います。
やっとバラモスを倒したと思ったプレイヤーに、本当の敵がまだいることを知らせる、ドラクエ3の物語の大きな転換点です。
そなたらの くるしみは わしの よろこびなのじゃ
同じ場面で、人々に苦しみ悩むよう言い放ったあとに続く、ファミコン版のセリフです。
リメイク版では「そなたらの苦しみは わしの よろこび…」という言い回しになっていて、人の苦しみを喜びとする大魔王の残酷さが、短い言葉で伝わります。
ゾーマとの最後の戦いを自分で体験するなら、HD-2D版の『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』で、リメイクで加わったセリフまで味わえます。
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最後の戦いの前のセリフ
ゾーマの名言として最も有名なのが、ゾーマの城の奥で、勇者たちと向き合ったときのセリフです。
なにゆえ もがき いきるのか?
勇者たちに向かって、なぜもがいてまで生きようとするのか、と問いかける言葉です。
傷つきながらも戦い続ける勇者たちの姿を、ゾーマは理解できないものとして見ていて、生きることそのものを否定する大魔王の価値観が表れています。
ほろびこそ わが よろこび
問いかけのあとに続く、滅びこそが自分の喜びだ、という意味のセリフです。
世界を支配することよりも、すべてが滅んでいくことに喜びを見いだす、ゾーマの異質さがはっきり伝わる言葉です。
しにゆくものこそ うつくしい
死んでいく者こそ美しい、という意味で、このあと「さあ わが うでのなかで いきたえるがよい!」と続いて戦いが始まります。
滅びや死に美しさを見る、ゆがんだ美学を短い言葉で言い切っていて、ゾーマがかっこいいと言われる理由のひとつになっています。
ほほう……わがバリアを はずす すべを しっていたとはな
リメイク版で、勇者が光の玉を使ってゾーマを守る闇の衣をはがしたときに語るセリフで、ファミコン版にはない言葉です。
余裕を崩さずに相手を認める言い方が、大魔王の風格をさらに引き立てています。
ほかのゲームの印象に残るセリフは、ゲームの名言を紹介した記事で取り上げています。
ゾーマの最後のセリフ
ゾーマを倒したあとに語られる最後のセリフは、ドラクエ3の物語の結末と、シリーズのつながりを示す言葉として知られています。
よくぞ わしを たおした
勇者に倒されたゾーマが、最期に勇者の力を認めて語る言葉です。
負けを認めながらも、取り乱さずに言葉を残す姿に、最後まで大魔王としての誇りを失わないゾーマらしさがあります。
だが ひかりあるかぎり やみも また ある……
光がある限り闇もまたある、という意味で、自分が倒れても闇が消えることはない、と告げる言葉です。
このあと、いつかまた闇から何者かが現れることを予言する言葉が続き、のちの時代を描いた『ドラゴンクエスト』の物語へつながっていきます。
HD-2D版では「すでに…その きざしは 生まれている……」という言葉が加わり、続く物語へのつながりがよりはっきり示されました。
ゾーマのセリフがかっこいいと言われる理由
ゾーマのセリフが今もドラクエの名言として語られるのは、言葉の短さと、ほかの敵とは違う価値観にあります。
ひらがなとカタカナだけの短いセリフで、生きることを問い、滅びを美しいと言い切る言葉は、子どもだったプレイヤーにも強い印象を残しました。
最後の戦いの曲「勇者の挑戦」とあわせて、重々しい場面の空気がセリフの記憶をいっそう強くしています。
ゲームにはないゾーマの名言
ゾーマの名言として紹介される言葉の中には、ゲームのセリフではないものもあります。
「私もかつては人間だった」
ゾーマの過去を語るセリフとして紹介されることがありますが、ゲームの『ドラゴンクエストIII』には出てこない言葉です。
漫画『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章 ~紋章を継ぐ者達へ~』で描かれた設定のセリフで、ゲームの名言と混同されて広まったものです。
ファミコン版とリメイク版のセリフの混同
ゾーマのセリフは、ファミコン版、スーパーファミコン版、HD-2D版で、ひらがなと漢字の使い方や言い回しが少しずつ違います。
名言を引用するときは、どの版のセリフかを確かめると、記憶とのずれに戸惑わずにすみます。
ゾーマの名言に関するよくある質問
ゾーマの最後のセリフは?
「よくぞ わしを たおした」に続く「ひかりあるかぎり やみも また ある……」です。
「なにゆえ もがき いきるのか」はどの場面のセリフですか?
ゾーマの城の奥で、最後の戦いを始める前に勇者たちへ語るセリフです。
ファミコン版とリメイク版でセリフは違いますか?
同じ場面でも言い回しが違うものがあり、光の玉を使ったときのセリフのように、リメイク版だけのセリフもあります。
「私もかつては人間だった」はゲームのセリフですか?
ゲームには出てこない、漫画『ロトの紋章 ~紋章を継ぐ者達へ~』のセリフです。
ゾーマの名言まとめ
ゾーマの名言は、セリフだけでなく、どの場面で、どの版のゲームで語られた言葉かまで確かめると、「滅び」に美しさを見る大魔王の価値観と、ドラクエ3の物語の結末がよくわかります。
「なにゆえ もがき いきるのか?」や「しにゆくものこそ うつくしい」には、生きることを否定する大魔王の異質さが、短い言葉で表れています。
一方で、ゲームにはない漫画のセリフや、版によって違う言い回しが混ざって広まっている例もあります。
持ち帰りたい一言を選ぶなら、最後のセリフ「ひかりあるかぎり やみも また ある」です。
気になったセリフは、ゲームの場面に戻って、曲や演出ごと味わってみてください。